会員作品を読む

2025年3月   山崎夫美子

今月の風

仏壇のあなたの髭をそりにいく
岩田多佳子

寂しい別れから日常を取り戻している日々。懐かしみと多少の恨み言も込めて、思いの丈をぶつけたくもなる。あれから髭は延びただろうか、困っていることはないだろうかなどと、気にかかることばかり。あの世とこの世の隔たりをものともせず、仏壇に向かって告げているのはまさしく愛。きずなは断たれることなく続いている。

やわらかい病 夜中のチョコレート
石野りこ

「やわらかい病」に惹きつけられた。深刻さはなさそうだが、ユニークな表現で興味をそそられる。心も体もリラックスする夜中に、チョコレートが病を癒してくれる。とろけるような柔らかさに包まれて、自分を取り戻していくというストーリー。やわらかい病という独創性と、夜中のチョコレートという若々しさが程よくマッチしている。

さよならの真ん中にうを入れる部署
温水ふみ

「さよなら」は「さようなら」の変化した語で、どちらかというと雑な言葉らしい。なので「う」を入れる部署が必要だということだが、はてさて、つかみどころのない部署のような気がしてならない。「う」を入れる使命感をもっていても暇そうな、あるいは必死で「う」のスタンプを押しているとか。そんなことを想起させる愉しい一句。

手放そう記憶の海をゆくオール
桂 晶月

ようやく決心がつきましたか。「手放そう」に吹っ切れた様子がうかがえます。忘れたいのか、忘れたくないのか、記憶の海をさまよいながら、懸命に漕いできたオールは、すり減ってしまったようです。でも大丈夫。新たな記憶が生まれた海で、未来への活路を見いだす光も射してくるでしょう。

天国に着いたら探すコンセント
浪越靖政

一軒の家にコンセントは幾つあるのだろう。かなりの数だ。自己主張をせずに素知らぬ顔でその場に馴染んでいる。私たちはすっかりコンセントのある生活に慣れて、もしもコンセントがなかったらなんて考えたことはない。だから有難味も感じていなかったが、天国ではどうだろう。現世と天国を繋ぐのに必要なコンセントなのかも。探さなくては!

笹鳴きや上手におこげできている
川田由紀子

おこげという言葉を久しぶりに聞いた。最近はおこげが出来る炊飯器もあるらしいが、子どもや若者たちにとって、おこげの認知度はどれほどだろう。ちょっぴり気になった。さてこの句、笹鳴きとおこげの関係性が絶妙で、鶯の地鳴きを聞きながら、春を待つ穏やかな暮らしが浮かぶ。「上手に」のさりげなさが、この句を引き上げていて流石だ。

雨水の両手ペンギンを真似ている
河野潤々

両手を横に広げて、天から降って来る雨を受け取る手は、まさしくペンギンの手。意図的に真似ているが、真似たのはそれだけ?シャルウィダンスのように華麗でなくても、ただ手を左右に動かして、ペンギンみたいに踊ったりするのもいいね。温暖化で氷上を追われているペンギンに幸あれと願うばかり。

出世した友の微炭酸な明日
伊藤聖子

友が出世したのに羨ましそうなそぶりがなく、淡々としているのはどうしてだろう。出世そのものに関心がないのか、もしくは出世しても大変さが増すだけなので避けているとか。微炭酸とはあまり刺激がないって意味にとれる。パワハラやカスハラ・セクハラで揺れている世の中だけど、友にとっては微炭酸な明日で心配はないかも。

糸コンはアナログじゃない 神かけて
西山奈津実

アナログでなかったら糸コンはデジタルなの。神かけてと強調するほどだから信じるしかないか。そもそも糸コンを、アナログじゃないと決めつけるのが不思議。その不思議に付き合いたくなるのはもっと不思議。話し合いは終わりそうにないけど、感覚と共感のアンテナで交信できればいいのだと思う。神かけて。