2026年9月の会員作品を読む

2026年9月   山崎夫美子

今月の風

銅鑼を聞くリール動画の隅っこで
菊池 京

何気なく見たインスタのショート動画。そこから果てなく続くリール動画に、自分の好みや弱みを握られた気分にさせられる。そしてその沼にハマるとなかなか抜け出せない。銅鑼はそこから抜け出すための善意のお知らせ?それとも危うい内容に警告?就寝時間はとうに過ぎてしまった。リール動画の隅っこがどの辺りか気になるが、ともかくは終わりのプッシュをしなければ。

ロッカーを開ければいつも夕立が
おおさわほてる

そこにあって当たり前の職場ロッカー。扉を開けば素の自分が見え隠れする。週明けの朝のため息、愚痴を放り込む休憩時、そして終業の解放感。ロッカーは使う人の気持ちを粛々と受け止めている。しかし、この作者のロッカーには夕立が。夏の午後に降る激しいにわか雨、雷も伴う夕立は、定まらない心の象徴のようだ。夕立が去ると暗闇のロッカー。シンプルな情景描写が素晴らしい。

痺れたく候う推しの汗が飛ぶ
飛伝応

推しの人物の汗が飛ぶほどに熱気が伝わってくる。ここはコンサート会場だろうか。舞台は佳境に入っている。こんな雰囲気に痺れないはずがないと思うのだが、わざわざ「痺れたく候う」とおっしゃるのが、面白くてクスっと笑う。「候」ではなく、敢えて「候う」と表現したところもなかなかの曲者。またクスっと笑ってしまった。

夏ゆらすこぼれ話の止水栓
斉尾くにこ

さほど大事ではないけど、興味を惹くような話題を意味するこぼれ話。昔、キャンプで聞いた星や虫のちょっとした話が今も記憶に残っている。この句のこぼれ話は止水栓を捻らないといけないぐらい盛り上がっているようだ。酷暑の夏だが、揺れ加減は緩やかで涼しげ。「だからこぼれ話なのよ」と言われそう。こぼれ話と止水栓の組み合わせがマッチしていて愉しい。

豆の木を登っているのは惹句師で
きくちはるか

豆の木を登っているのは、ジャックではなく惹句師だったとは。言葉遊びともダジャレともとれる音の重なりに笑みがこぼれた。そして聞きなれない惹句師に関心が向く。映画のキャッチコピーライターとして、短い言葉で人の心を動かす仕事だという。ジャックと豆の木ならぬ、惹句師と豆の木ならば、どんなキャッチコピーだろう。ユーモアとセンスある一句に出会って、より一層興味が湧いてきた。

髭剃れば鏡の父が目を覚ます
稲葉良岩

年齢を重ねるほどに顔つきや表情・仕草が親に似てくる。親戚の集まりでそのことを実感することもしばしば。毎朝、鏡の前で髭を剃っていた父の記憶が蘇る。髭を剃って覗いた鏡に映るのは自分なのに、ふと父だと錯覚することも。そんな心情を「父が目を覚ます」と表現しているのが素敵だ。親子のかたちはいろいろで想い出に境界はない。

ある日突然渦中の人となるこの世
林 操


日々起きている出来事に、突然巻き込まれて当事者になることがある。注目を浴びて記者会見の壇上に立つことだってある。情報がまたたく間に駆け巡り、身に覚えのない中傷に晒されることも。一瞬で日常が非日常になる怖さをこの句は物語っている。「この世」という言葉には生活のしがらみを感じるが、錯綜するAI時代の今も「この世」なのだ。そう考えると「ある日突然」が現実味を帯びてくる。

パソコンのストライキお祈りをする
弘津秋の子

「お祈りをする」に切実さや可笑しみを感じながら、あるあるの場面だと共感する人も多いのではないだろうか。世代や個人にもよるが、操作方法に辟易しながら、必要に駆られて使っているパソコン。しかし、順調に作動していたはずが、突如固まって動かない。焦ってしまうところを「ストライキ」と受け止めて祈るのがいいなぁ。穏やかでやさしい人柄が浮かぶ。

雨上がり オクラの花に嫌われて
金子政子

雨が上がると気分も軽くなるのに、寂しげで元気がない。オクラの花は朝開いて、夕方にはしぼむので、嫌われているわけではないって慰めようかな。いえいえ、そのことはきっと承知のはず。華やかで美しいオクラの花だからこそ、しぼんでしまう様子が辛くて、その落差を「嫌われて」で埋めているのではないですか。野菜に話しかけたり、つぶやいたりするあなたが羨ましい。