2026年8月の会員作品を読む

2026年8月   山崎夫美子

今月の風

お出かけがしたい貯金箱の乳歯
島貫麻衣子

愛らしいつぶやきに思わず頷き、貯金箱に乳歯を入れる発想にちょっぴりの驚き。乳歯が抜けると床下や屋根の上に投げた記憶があるが、今はカラフルな乳歯ケースもあって成長の記録・記念として保管するらしい。この貯金箱は可愛いい動物とかで、箱の中には何本かの乳歯が入っている。乳歯が抜けたらママも自由にお出かけができるかな。貯金箱に子育て中のママの本音が詰まっている。

夏蝶の独語ほとほと聞き逃す
黒田弥生

「ほとほと聞き逃す」の表現に惹かれた。使い慣れない言葉の組み合わせが新鮮で、聞き逃したあきらめ感が伝わってくる。黄揚羽や黒揚羽など夏の蝶はやや大きめで華麗なだけに、発する独り言も魅惑的だった気がして残念。独語については独り言と解釈しているが、ドイツ語も独語と読む。もしかしてドイツ語ゆえに聞き取れなかったのかもしれない。

そしてまた線路のような別れ方
伊藤良彦

別れ方にはいろいろあるが、「線路のような」が思わせぶりで好奇心を煽る。線路といえば二股の線路が右か左かに分かれていく場面が浮かぶ。別れにマッチしそうだがありふれている。情感ある単線の途中駅で、方向違いで分かれるのも悪くない。スイッチバックする線路で別れがたく思うのもアリ。どのような別れであっても「線路は続くよどこまでも」なのです。そしてまた新しい世界には別の線路が敷かれている。

地政学リスクにぷるるんと豆腐
藤山竜骨

地政学リスクについて知るほどに、その不確実性・不透明さへの危惧は大きくなっていく。穏やかな毎日が徐々に変わりつつある気配を、多くの人が感じているのではないだろうか。それでも日常は繰り返される。夏の食卓に並ぶ豆腐のぷるるんは不穏の象徴だろうか。しかし、地政学リスクと豆腐を対等に据えて、ぷるるんという表現に明るさと柔軟さを残しているのが見事だ。

シャラシャラと言葉の笊を振る天使
七澤銀河

現代アートの一枚とも思えるような一句。言葉のすれ合う音のシャラシャラが、心地よく耳底に響く。いとも簡単に言葉で人を攻撃するSNSの時代。ふるいにかけて残るのは珠玉の言葉でなくていい。心を通わせるあたたかい言葉であってほしい。笊とはいささか古風ながら、逆に笊というのがこの句のユニークさを引き立てている。天使が振る笊はどんな形で何色だろう。ふと気になった。

来世用メモに短角牛と書く
田中 赫

人生の終末期に自身の希望を書いておくエンディングノートはよくあるが、来世用のメモの存在はあまり聞いたことがない。それも短角牛だとは。よほどの思い入れがあるようだ。日本固有の希少種で放牧、赤身で低脂肪の短角牛。来世で生まれ変わりたいのが短角牛?ひょっとして短角牛を食べたいという買物メモのようなもの?来世用メモに暗さはなく前向きだ。あなたなら何を書きますか。

チコリ散るなバジル化けるな夏本番
北川清子

勢いのある呼びかけはまるで応援歌。酷暑の夏に向けて連呼し自身をも鼓舞しているかのようだ。チコリの花は初夏の早朝に咲いて一日で散る。バジルは傷みやすく色が変わりやすい。チコリもバジルもハーブだが、それぞれに特徴があって楽しい。愛情を注いできたハーブの庭もいよいよ夏本番。いくら夏に強い品種でも今年の炎暑に耐えられるか心配は尽きない。

無敵の風につつまれるハンモック
四ツ屋いずみ

緑の木立にはゆるやかな時間が横たわっていて、ハンモックに揺れる姿は自然体で癒される。そして無敵の風につつまれている。完璧な場面構成だけど、作者が意図する対象は別にある。そもそもハンモックに乗っているのは自分ではなく幼い子どもではないか。うたた寝をしながら揺れるハンモック。無防備な子には無敵の風が必要だ。小さな手に触れると愛おしさが募る。

葉月の裏で騒がしい書評たち
西田雅子

葉月の季語は仲秋で、現在の暦では九月上旬から十月上旬頃を指すが、このところの酷暑で季節が落ち着かない。葉月の頃はどんな様子だろう。読書の秋に書評はつきもの。書評が騒がしいと言及しているが、良い意味での騒がしさと、「書評」でなく「書評たち」と詠んでいることに親しみが感じられる。喧々諤々とまではいかなくても、どうぞお好きに紹介・批評し合ってという雰囲気がステキだ。