2022年3月 西田雅子
会員作品第8回をお届けします。
ショーケースには春色のスイーツがズラリ、
華やかな春の訪れを感じます。
でも本格的な春の訪れはまだ少し先でしょうか。
今月も個性豊かな会員作品です。
今月の風
にぎってた母の袂の手を放し
毬 じゅんこ
なにやら事情がありそうな母子。若い母親と幼い子供なのか、あるいは年老いた母と娘なのか、母と子の関係性も、設定を変えることによっていろいろに読めそう。キーワードは「袂」。手でも腕でも袖でもない、着物の袂。たとえば、しっかり握っていた母の着物の袂を何かの弾みで放してしまったのか、それともあえて放したのか。母の表情や様子も書かれていない。大きなできごとか、小さなできごとか覚えていないのかもしれないが、母の着物の袂をしっかり握っていた時の手の感触や、着物の肌触りや匂いが、不安や悲しみ、後悔等と共に記憶に蘇る。
春虹のカーブ『わたし』を駆逐する
阿川マサコ
雨が上がり、雲間からやわらかい光が差す。ふいに浮かび上がる虹。虹の輪は、まるで「わたし」を優しく包んでくれているよう。けれど、夏の虹よりも淡く儚い春の虹。すぐに消えてしまう儚さ。今まで「わたし」を包んでいた輪が消え、「わたし」までも消されてしまう。まるで「わたし」が駆逐されてしまうよう。春虹には一見そぐわない駆逐の取り合わせが、儚さの美しさとこわさを際立たせている。
早春の匂い嗅ぎ当て阿佐ヶ谷姉妹
朝倉晴美
ある朝、窓をひらいたら、阿佐ヶ谷姉妹が例のピンクのドレスで微笑んで立っていた。見事なハーモニーで、春の歌を歌い始める。鶯が鳴くよりも早く、春の訪れを知らせてくれた阿佐ヶ谷姉妹。二人のふんわりした空気がやわらかい春の日差しと重なり、「阿佐ヶ谷」という町の名前の響きが、どこか庶民的で親しみを感じさせる。早春に阿佐ヶ谷姉妹とは意表を突かれるが、不思議と納得もしてしまう。
思いきり地球を空に転がして
岡谷 樹
去年の夏の東京オリンピック・パラリンピックは、コロナ禍の中、開催され、こんなときにオリンピック?と思いつつ、いざ始まるとテレビにかじりついていた。この冬の北京オリンピックも、コロナ禍の中の開催。零下10度以下という寒さの中の競技は、夏とは違う魅力が。特に、10代の若者が多く参加している比較的新しい競技も、冬ならではの楽しさがある。大空へ次々舞い上がっていく選手たち。ポーン、ポーンと空へ飛び出し、空中で、横に縦に2回転、3回転とクルクル、クルクル、…。回転しながら、まるで思い切り地球を空に転がしているよう。オリンピックから生まれたダイナミックでスケールの大きな句。
落ちていく夕陽を掬う玉杓子
川田由紀子
今日も一日無事済んで、ほっ。いつものように慌ただしい一日だったけれど、いつものように日が暮れて、夕陽も「お疲れさま。」と言ってくれているよう。夕ご飯時、お味噌汁をお玉で、まずはひと口味見。「うん、今日もおいしくできた。」少し夕陽の味がするお味噌汁は母にだけしか出せない味。夕陽は山や海に沈むのではなく、母の作ったお味噌汁の中に沈んでゆく。そんな夕陽をお玉がやさしく掬っている。懐かしい日本の夕餉。
静寂の未明は水でしばし魚
斉尾くにこ
まだ誰も目覚めていない未明の静寂は、凛とした冷気を纏っている。水面はまだ眠りの中かもしれない。が、夜明けの気配に気づいたのは、魚。未明の静寂を破るように跳ねる魚。水面と魚、静と動。みずみずしく新しい一日が始まる。
指切りの小指を売ってくれまいか
昌善
大切な約束をした小指をどこかに失くしてしまったのか、それとも大切な約束を破って小指を失くしたのか。「小指を売る」って、かなり危ないこと。しかも「くれまいか」である。一見丁寧なお願いのしかたではあるけれど、今どきあまり使われない「くれまいか」と言う依頼の表現が、叶いそうもない願いを真剣に頼むおかしさと、妙にマッチしている。不思議な違和感が魅力。
瞬きをして取り戻す水たまり
平尾正人
瞬きをして、現実の世界へ戻る。止まっていた時間はいつものように時を刻み始める。まだ現実の世界になじめないが、一つ一つ取り戻さなければ。以前は、水たまりを飛び越えたり、よけたりしていたが、そんな水たまりも丸ごと取り戻したい。