2025年12月 山崎夫美子
今月の風
痛むのよコスモス生えていたところ
おおさわほてる
風に揺れるコスモスは、それぞれに表情があって可憐で愛らしい。群生となればなおさらだ。やがて花は盛りを過ぎて終わりを告げるが、細くて折れやすい茎はだらしなく倒れて、あの可憐さは見る影もない。「痛むのよ」はそんな風景が胸に刺さって、思わず洩らした言葉ではないだろうか。「痛むのよ」に切実さがあり、コスモスの悲鳴にも思えて、気になる一句だ。
かかりに行きたい遊園地の魔法
平尾正人
子どもの頃の遊園地はすべてが魔法だった。遊園地と聞くだけで心が弾みワクワクしたが、大人になっても遊園地は魔法であり続けるのだろうか。そうであってほしいけれど、魔法ではないのは承知のこと。だからこそ現実にまみれた暮らしを離れて、時には魔法の世界に入りたくなるのだ。童心に返ったような「かかりに行きたい」が、ゆっくり効いてきた。
紅葉散る不徳の致すところから
浪越靖政
「不徳の致すところ」は、古い言葉の印象があるが、古語ではなく、現代でも謝罪の際に用いられる慣用句だ。多くを語らなくても、不徳の致すところでと言えば、許された気になるが、この句からは真摯に詫びている姿が伝わってくる。色鮮やかな紅葉が不徳を攻めながら散るのも、やがて紅葉の絨毯となっていくのも美しい。映像感覚を生かした巧みな表現で流石だ。
ぼーっとしてあさってのふねにのる
北川清子
船に乗り遅れることはあっても、出発が二日後の船だなんて、ぼーっとしているのにも程がある。行き先も告げずに何処へと、突っ込みをいれようと思ったら、会員作品3句が繋がっていた。「ぼーっと」をテーマに物語が始まっていたのだ。ぼーっとを実感するには明後日の方を向いているぐらいがちょうどいいし、乗るのが船で進むのもゆっくりだし、すべてひらがな表記なのも効果的。あれ?周到すぎてぼーっと出来ている?
吐けなくて意固地になった蜆汁
峯島 妙
懸命に吐こうとした蜆には悪いが、吐けなくて意固地になるなんて、ユーモアのある面白い展開だ。蜆汁はジャリッとしない蜆の味を楽しみたい。だから砂抜きの行程を経て、しっかり吐いてもらわないと困るのだ。それはそちらの都合でしょうと、軽くいなされそうだが、本当に吐きたいのは日々の鬱憤かも。かたくなな蜆汁の味は、意外に美味しかったりして。
突然の老いが私にやって来た
吉田利秋
「老い」を詠む川柳は多いが、声高に「老い」を語る句にはいささかの抵抗がある。この句は、予想だにしなかった老いを、来客のごとく丁寧に迎えているのが魅力的だ。概して老いは徐々に来るものだが、突然にやって来たことで、老いとの向き合い方が試される。病気や怪我などの体力面なのか、あるいは気力を失くす何かがあったのだろうか。老いを感じるほどに見えてくるものがある。
冬ざれてやさぐれてややへこたれて
たかすかまさゆき
かなりのマイナス思考に陥っているようで、大丈夫ですかと声をかけたくなる。冬ざれ、やさぐれ、へこたれとはなかなかの羅列。さて、これからどうしようというところでしょうか。やさぐれるには、家出する・すねる・無気力で投げやりになるなどの意味があり、とても一筋縄ではいかない。希望的観測で言えば、「ややへこたれて」に余力がありそうなので、そこが突破口。どうするかはあなた次第。
穴あきの手袋からのサプライズ
稲葉良岩
手袋には五本指やミトンがあるが、最近はフィンガーレスという、スマホの操作ができる指先部分のない手袋もある。とはいえ、穴あきの手袋となると、多分5本指の手袋。絵本の「てぶくろ」は動物たちが次々やってきて賑やかだったが、この手袋はどんなサプライズを用意しているのだろう。穴を覗きたくなるが待つしかない。サプライズに驚く顔の準備はできている。
アサギマダラ着陸許可は千年後
大竹明日香
アサギマダラは透き通るような浅葱色の斑紋を持ち、「旅する蝶」とか「神秘の渡り蝶」と呼ばれている。全長10cmほどの小さな体で、2,000㎞を超える壮大な旅をする。知るほどに凄い蝶だが、着陸許可は千年後ってどういうことだろう。誰が許可するのかなんて心配が次々。でも千年があまりに遠すぎて心配も薄れてしまう。着陸許可は千年後と詠みきった意気に感服です。

