2026年6月の会員作品を読む

2026年6月   西田雅子

今月の風

青もみじ夏の裏地が透けてくる
大竹明日香
青もみじは楓の若葉を指し、春の名残をとどめつつ、生命の勢いを湛えた初夏の季語でもある。瑞々しい葉のその向こうに夏がほのかに見えてくる。その鮮やかな緑を「夏の裏地」と捉えたところが新鮮。裏地とは、表からは直接見えない内側のもの。まだ、本格的な夏ではないけれど、青葉の薄さや陽の透け方の中に、夏の気配が忍び寄っている、そんな季節の移ろいを「透けてくる」としている。季節そのものに 「裏と表」があるかのような奥行きが生まれ、初夏の透明感と、これから訪れる盛夏への予感が美しく響きあっている。

一筆箋一枚という証言台
菊池 京

一筆箋の一枚に書かれた事柄、ほんの数行のことばであっても、人の思いはときに裁判の証言のような重みを帯びる。一筆箋は本来、お礼や近況を軽やかに伝えるためにあるが、ここでは、沈黙を破るための場所になっているよう。言えなかった本音、別れ、謝罪、告白、…。一筆箋のたった一枚、数行、あるいはひと言だったかもしれないが、その背後には長い逡巡や覚悟が感じられる。「一筆箋一枚」を「証言台」としたインパクト。受け取った者の衝撃はいかばかりかと。

もうひとつの顔を念入りに洗う
桂 晶月

人は社会の中で、素の自分とは別に、役割や建前としてのもうひとつの顔を持って生きている。その顔を「洗う」という行為には、化粧を落とすように、一日の役目を終えて素に戻る感じもあれば、逆に明日また使うために整え、磨き上げる準備でもある。そのもう一つの顔が、単なる仮面ではなく、丁寧に手入れしなければならないほど切実なものとして浮かぶ。

棒読みの弔辞へハンカチを絞る
笠嶋恵美子

葬儀という厳粛な場の中で生まれるそれぞれの感情のずれか。「棒読みの弔辞」に、本来なら故人への思いがこもっているはずの言葉が、どこか事務的で平板に響いてしまう違和感。故人との関係が形式的で感情がこもらないのか、緊張からか、あるいは深い悲しみの中、棒読みにしないと弔辞を読み上げられないからなのか。そこへ「ハンカチを絞る」とあり、より多義的に。涙でぬれたハンカチを絞るほど泣いているとも読めるが、中身のない弔辞にやりきれなくて、思わずハンカチを絞ったのか、とも。葬儀という場には、厳粛な中にも複雑に揺れ動く心模様が、いくつも渦巻いている。

逃げるなよ俺の話も聞いてくれ
堀本のりひろ

切迫したセリフがそのまま句になっていて、生々しい感情が伝わってくる。「逃げるなよ」という言葉には、相手を引き留めたい焦りと、理解されないまま置かれる不安がにじむ。が、つづく「俺の話も」の「も」に、すでに相手の言い分は十分語られていたのかもしれず、こちらにも語る権利があるという悲痛な訴えにも聞こえる。相手が誰かは書かれていないが、家族か、友人か、恋人か…、さまざまな関係が読み手の中に立ちあがる。

憎まれて嫌われてまだ燃え残る
峯島 妙

憎まれて嫌われて、「燃え尽きる」ではなく、「燃え残るの?」。否定の感情を重ねながら、それでも「まだ燃え残る」に、残り火でもあり、未練やプライド、あるいは生への執着とも読める。周囲から拒まれ、関係が焼け落ちた後でも、完全には灰にはなり切れない何かがあるのだろう。否定し尽くされたあとの静かな熱い思いが伝わってくる。関係修復となりますように。

もぎたての星あげるから笑って
西山奈津実

「もぎたての星」と、まるで星がみずみずしい果実のよう。手の届かない星が、朝摘みの果物のように、大皿に盛って差し出されたら、思わずにっこり。悲しみやつらい思いの中にいる相手を笑顔にしたいという純粋な願いが、宇宙スケールの贈り物になった。「笑って」に命令ではなく、祈りのような響き、やさしさと切実さが伝わってくる。

へそくり束ねてカーネーション枯れて
河野潤々

「へそくり束ねて」から、こつこつ貯めてきたお札を数えたり、束にしたりする姿がイメージされる。生活者の慎ましい喜びか。一方、カーネーションは、母の日、感謝、家族愛を感じさせる花。その花が枯れてしまうことで、祝われるべきときが過ぎ去った寂しさがにじむ。束ねられたお札は、束ねられたカーネーションのように枯れる、その対比が、現実の生活の厳しさを表しているかのよう。

百光年先の生命線もらう
斉尾くにこ

「百光年」という途方もない距離感と、「生命線」という身体的かつ個人的なものの取り合わせ。手のひらの生命線は、占いや運命を思わせるが、ここでは「もらう」とある。まるで自分の命も未来も、遠い宇宙から授けられたかのよう。宇宙というスケールの中、人間の願いや祈りが交差して、やがて百光年先から届いた光とつながっていく、壮大で静かなロマン。