総評

2022年5月   西田雅子

会員作品第10回をお届けします。
みどり、きみどり、うすみどり、… 風も樹々も
きらきら輝く季節になりました。
窓をひらいて、さわやかな五月の風の中、
ゆに作品をどうぞ。

今月の風

意を決し桜吹雪になっている
藤山竜骨

桜吹雪になったこの人物。桜吹雪そのものになったのか、あるいは、桜吹雪の中のひとひらになったのか。いずれにしても、強い決意がないと、桜吹雪になんてなれない。桜の下にいると、桜の妖しく、不思議な空気に包まれる。ふいに、いろいろな思い出が押し寄せて、泣きそうになったり。それはきっと、誰かの強い思いが桜吹雪になったからなのかもしれない。関西では、桜も散り、桜吹雪の熱い思いが、かすかな微熱となって葉桜に残っている。

葉桜になるまでのスローモーション
森平洋子

桜の開花から満開まで約1週間から10日。満開から葉桜まで、雨風がなければ約1週間。その間に、花冷え、花曇り、桜吹雪、花筏、花の雨、桜蕊降る、葉桜…等々美しいことばの数々。1年のうちの約2週間、日本では桜中心に世界がまわる。景の中の桜、天候の下での桜、思いの中の桜…。風がそよそよ吹けば、ハラハラ散って、やがて、葉桜になると、もうそわそわドキドキしなくていいかと思うと、なんだかほっとしたりして。葉桜までの約2週間はさくら時間。桜の花たちのさざめきをかすかに残し、葉桜から次の若葉青葉へと季節は移る。葉桜までのさくら物語を、スローモーションでどうぞ。

こんにちわ今年のたんぽぽ僕は風
君の目に映るたんぽぽ僕じゃない
傷つき泣くためたんぽぽ探してる

おおさわほてる

たんぽぽの3句。1句ずつ独立して読めるが、掲句の3句目は、1句目、2句目があって、より深く読むことができる。1句目。今年のたんぽぽにご挨拶。僕は風です。2句目。君の目にたんぽぽは映っているけれど、僕は映らない。風だから。3句目。泣くためにたんぽぽを探す。たんぽぽが好きな君に会えそうで。たとえ君から僕が見えなくても…。メルヘンタッチの切なくピュアな風の恋。たんぽぽの風に運ばれてきたような3句。

誤嚥するまでは滑らかだった海
笠嶋恵美子

誤嚥は食物が食道に入らず、気管に入ってしまうこと。軽い誤嚥でも、むせたり、咳き込んだり、これがけっこう苦しい。誤嚥しないように、一口の量を少なくしたり、よく咀嚼することが大切。トロミをつけて、滑らかにすることも。ひょっとして、夕陽を呑み込んでしまった?夕陽を誤嚥したら、それはもう、胸の中で海は荒れ狂うことでしょう。

おろしがねさんざんなめにあってきた
河村啓子

いやもう、ぼろぼろ。私はおろしがね。キッチンツールの中では、地味な存在。今までまじめにやってきたのに、さんざんなめにあってきた。大根、ショウガ、わさび、痒いのを我慢して山芋…最近では、慣れないチーズやチョコレートまで。ひたすらすりおろしてきて、ほんとぼろぼろ。もうイヤだと思いつつも、大根をあてられるとつい、スリスリ…すりおろすことが仕事とはいえ、悲しいさがである。知られざるおろしがねの悲哀か。

寂しさがゆっくり胸に落ちる音
黒川佳津子

寂しさがゆっくり胸に落ちる音とはどんな音だろうか。かすかな音を聴き逃さずにキャッチして、これは寂しさが落ちる音だと。「寂しい」は、静寂や、わびや寂びといった、状況や様子を表すときに使い、「淋しい」は、さんずいが涙を表すように、涙が出るくらいに気持ちがさびしいときに使うとある。この句では、涙がでるような淋しさではなく、心細さや孤独に近い感覚なのかもしれない。ゆっくり落ちる音を聴いたことで、その寂しさを徐々に受け入ることができたように思える。落ちたあとその寂しさは、そのまま胸に棲みついたのだろうか。

とうとうたらりたらりらとのたれ春
河野潤々

とうとうたらりたらりら…は、能で最も神聖な曲とされる「翁」の冒頭部分。とうとうたらり…は、特に難解で、”謎の言語”とされているらしい。が、諸説ある中、現在認められている説は、1.笛の唱歌、2.波の音のオノマトペ、だとか。いずれにしても「翁」は天下泰平、国土安穏等を祈る演目のようである。コロナ禍とウクライナ情勢の中の重苦しいこの春を、とうとうたらりたらりら…と翁には大空高く舞ってほしい。

玄関を開けると人が立っている
重森恒雄

玄関を開けて人が立っていたら、ふつうギョッとする。それがたとえ家族や知り合いでも、ただ立っていたら。けれど、玄関を開けた人物も立っていた人物も、特に驚く様子もなく、声をかけるでもなく。なぜ?多分、玄関の外に誰かが立っているのを予感していたのではないだろうか。気配というか、期待というか。近い関係の人、大切な人、家族、それも亡くなった人ではないか。会いたい、会いに来てほしいという思いから、玄関を開けたとき、その人の姿を、あるいは幻を見たのかもしれない。顔を見ただけで、ことばをかけなくても通じるものがあったのではないだろうか。