2026年5月 西田雅子
今月の風
烏賊光るオープン戦の二試合目
重森恒雄
「烏賊光る」という上五が鮮烈。夜の海に青白く光る烏賊の妖しい美しさ。その幻想的な光景が、続く「オープン戦の二試合目」という日常的で具体的な場面へふっと接続されることで、不思議な余韻が生まれる。開幕前のまだ本番ではない試合、その少し力の抜けた空気感や、期待の混ざる気配が、初戦でなく「二試合目」という微妙な試合に表れている。烏賊の光のゆらめきは、選手たちのまだ調整中の状態や、春先の球場の高揚感にも重なる。
のほほんと溶け残ったら勝ちの春
小原由佳
「溶け残ったら」から、雪や氷が春の陽射しに少しずつ溶けていく情景が浮かぶ。周囲が変わりゆく中で、こだわりや自分らしさを失わずにかろうじて踏みとどまっているのは、ひとつの「勝ち」。春のやわらかい空気に身をゆだねつつ、まわりでは雪や氷が溶けても、のほほんとしたたかに最後まで残ったら、これは「勝ちの春」にまちがいなし!
視界からはみ出す空は美しい
伊藤良彦
視界という限定された枠と、そこからあふれ出す空の広がりとの対比が印象的。「はみ出す」ということばがあることで、空は枠の中に収まらず、自由でどこまでも広がるものと改めて意識することができる。たとえ、視界から見えなくても、見えないからこそ、美しさや自由度が倍増されるような、その逆説が静かに心に残る。
未練まだダリの時計のいびつさよ
海野エリー
未練と歪んだ時間を重ねている。ダリの柔らかく崩れた時計を想起させることで、過去への執着や、時間感覚のずれが視覚的に立ちあがる。未練とは、過ぎ去ったはずの時間が必ずしも正確に流れず、どこかでいびつに撓み続けている状態なのかもしれない。「いびつさよ」の詠嘆に、手放せない心情がにじんでいる。
体内の水位測りにくる五月
黒田弥生
季節の訪れを身体感覚として捉えている。心身の潤い、けだるさ、あるいは感情の満ち引きをも含む曖昧で豊かな指標が、ここでは「体内の水位」。「測りにくる五月」から、初夏の光りや風が身の内にそっと触れ、状態を確かめているような。五月は爽やかである一方、体調や気分が不安定な状態も起こりやすい季節。その微妙なバランスを「体内の水位」という見えないスケールで言い表している。
久方の茶筒のポンと朧の夜
朝倉晴美
「久方の」から積み重ねられた時間が感じられる。長く手に取られなかった茶筒をある夜ふと思い出して開ける。その小さな所作から、過ぎた季節や記憶が静かに立ち上ってくる。「ポン」という軽やかな音から、蓋の開く音とともに、閉じ込められていた香りや思い出がふわりと解き放たれたように広がってゆく。「朧の夜」に、春の夜のやわらかな霞と心の揺らぎを重ねている、余韻豊かな一句。
納豆百回そんなに生きていたいのか
浪越靖政
今ではどこのスーパーでも、1コーナーを陣取っている納豆。手ごろな値段、かつ健康にいいということで、毎日欠かさない人も多いのでは。混ぜるほどに粘りを増し、糸を引き続けるその様子が、そのまま「長く生きたい」という本能的な願いへと重ねられている。「そんなに」という少し呆れたような言い方には、自分を茶化しながらも、生への欲や未練を見つめる視線がある。川柳らしい風刺と味わいのある一句。
ごめんねとかありがとうとか辞書になかった
寒雷
「ごめんね」も「ありがとう」も辞書に載っているはず。が、ここでは「載っていない」という不思議な設定。ここでの辞書は、心の中にある「ことばの辞書」のように感じられる。「ごめんね」も「ありがとう」も、本来、最も基本的な謝罪や謝意のことば。それが「なかった」と言い切ることで、これまで素直に感謝や謝罪を口にできなかった人生の時間を思わせる。今ようやくそのことばの大切さに気づく。
否定から肯定 闇を吸いながら
吾亦紅
最初は拒み、受け入れられなかったものが、時間や経験を経て、やがて肯定へと変わっていく、その内面的な過程が凝縮されている。闇とは、不安、苦しみ、孤独、あるいは世の中の理不尽さかもしれないが、それらをただ避けるのではなく、「吸いながら」と内に取り込みつつ進む姿に、覚悟が感じられる。苦しみを経たからこその肯定で、簡潔な言葉の中に、受容の哲学をにじませている。

