総評

2021年9月   芳賀博子

会員作品第2回をお届けします。第1回は、ゆに内外より「想定以上にいろんな作品」という声をいただきました。「いろんな」には、それこそいろんなニュアンスが込められている、とうれしくおもしろく受けとめつつ、その「いろんな」がゆにの強みになっていけばと思います。道はまだ始まったばかり。見上げる空には秋の雲です。

 

今月の風

疎か密かどこかが沼化よるの匙
阿川マサコ

混沌の今夏はまさにこういう感じだった。緊急事態宣言下での東京オリパラ開催。ワクチン接種が始まってひと安心かと思いきやこの第五波である。疎か密か、ときて、どこかが沼化。「か」が「化」に置き換わり、ふっと句の質感が変わるのがユニーク。かきまぜる匙にねっとりと熱帯夜の鬱屈がからまる。

なんでゴーヤの機嫌とらんとあかんのよ
河村啓子

といきなりいわれてもねー。ではありますが、声に勢いがあり、ついうなずいてしまった。グリーンカーテンの野菜としても人気のゴーヤは、マンションのベランダでもすくすく育つという。でも友人宅では、あまりに実がなり過ぎて、お裾分けでも追いつかなくなり、結局栽培をやめてしまったそうだ。ゴーヤは朴訥にみえて、案外かまってちゃんなのかな。あ、このゴーヤってもしや特定の誰かさん?

雨の日のお迎えなんて絵空事
昌善

二種の映像が浮かんだ。まずは今様の帰宅シーン。「雨降ってきたから、駅まで迎えにきて」「今、忙しい。コンビニで傘買いなよ」。二つ目は遠い日の小学校の校門前。 ♪ あめあめふれふれ かあさんが・・の童謡「あめふり」のようには迎えにきてもらえなかった幼き頃の主人公。「絵空事」とはどちらもせつないが、後者ではさらに、カメラが小さな背中を追ってゆく気がした。それにしても歌詞にはつくづく隔世の感あり、と思って調べたら、北原白秋作で大正14年に発表されたものだった。

目詰まりに右往左往の油照


句の中にたたずむほどに、暑さと湿気がじりじりくる。「目詰まり」とは、まこと言い得て妙なりだ。あたりを見回せば、世の中全体、どこもかしこも目詰まりの八方塞りともいえる。何かいい策はないか。ここはもう国中世界中で右往左往し倒して、冷や汗脂汗とともにすべてを流しきるしかないのか。

バランスボールに乗って町まで買い出しに
林 操

バランスボールに玉乗りで? なんと危なっかしい。いやしかし、このコロナ禍では、ちょいと買い出しにいくのすら、こんな感覚かも。長びく巣ごもりで体力も落ちてきたし。けれど本作、なんかほがらかで救われる。ビタミンカラーのバランスボールを膨らませているのは、きっと持ち前のタフなユーモア精神だ。

元気かぃにゅるっと笑う水たまり
吾亦紅

主人公は水たまりとも友だちになれるらしい。きっと心にピュアな部分を失っていない人なんだろう。元気かぃ、のいたいけな「ぃ」を経ての、にゅるっ、がいいなあ。そのにゅるっに、にゅるっと応える微笑もまた、雨上がりの日差しに輝いている。

スナックにひろちゃんがいた三宮
吉田利秋

神戸の三宮に土地勘があるかどうかで句の印象は変わるだろう。また、句中のこういった人名の扱いは、いわゆる「動く」としてスルーする読み手もいるだろう。だが、三宮やひろちゃんや、このスナックにもまったく関わりがなくたって、本作の醸し出すリアリティには、じんと響くものがある。「いた」夜から今日までの時の流れもしみじみと。

ひとしきり眠る樹海を抱いたまま
山崎夫美子

身の内に鬱蒼と広がる樹海。その中に人の気配もある。うっかり迷い込んでしまったのか、逃げ込んできたのか。されど樹海はすべてを受け入れ、匿っているようにも思える。樹海が死でなく、たましいやいのちを守り育む樹海であり続けるには、ひとしきりの深い眠りが必要なのだろう。眠りとは再生でもあるから。