8月の会員作品を読む

2025年8月   西田雅子

今月の風

雲はもう終ろうとする全十話
重森恒雄

大空を渡る雲を一話、二話、三話…と連続する物語に見立て、最後列の雲で最終話を迎えようとしている。物語は神話、童話、ロマン、ミステリー、あるいは自分史か…。「雲はもう」に名残惜しさや、かすかに諦観の気配も。四季折々移ろう雲、明け方、夕焼けの雲等、それぞれの雲には物語があり、どの雲の連なりもはるかかなたへ消えてゆく。壮大で静かな空の上の叙事詩のよう。全十話終え、雲たちは遠いどこかで、新たな物語を紡いでいるのかもしれない。

丸かじりしてやるあとはまかせなさい
本海万里絵

「丸かじり」は本来、果物などを皮ごと豪快にかじる行為。比喩として読めば、「丸かじりしてやる」は、まずは全力で取りかかる姿勢、あるいは、現実の苦労を覚悟を決めてまるごと受け入れること。また、相手のいい点も悪い点もまとめて「丸かじり」しようとしている、恋人や友人関係の覚悟とも読める。つまり、全部まるごと受け入れてやる。「あとはまかせなさい」と立ち向かい、後始末まで引き受けてくれる、なんと頼もしい!

明暗法にのっとり童話いそがしい
岩田多佳子

童話の中に潜む「明」と「暗」。ここでは、明暗法という方法に則り(のっとり)とあり、
童話が単なる子ども向けの話ではなく、光(希望・善)と影(不安・悪)が緻密に組み合わされた複雑な構成であることがわかる。物語の中で善悪が入れ替わることで、読む者の感情の起伏までも感じさせる。ほんと、いそがしい。

幸せの範囲お醤油ひとまわし
斉尾くにこ

ささやかな日常に宿る幸福を巧みに捉えた一句。「お醤油ひとまわし」という具体的な動作が、家庭の食卓やあたたかな食事の風景を思わせる。けっして豪華なものでなく、好みの味に調えるという満足感。「範囲」から自分にとってのちょうどよい幸せを大切にするつつましさが滲んでいる。穏やかでほっこりする。

妄想が躍る破れた裏表紙
桂 晶月

何度も読み返されて、傷んだ裏表紙だろうか。物語を読み耽ったり、書かれていない余白に感情が溢れたり、物語と読者の心が激しく交差した証でもあるような。「妄想が躍る」にページの奥で物語がいまも生き生きと跳ねているような生命感がある。読み手の想像が、書かれていたことばを超えて広がってゆく。

地下道を上がり日傘を差す戦士
藤山竜骨

地下道から地上に出て日傘を差す、通行人のそれだけの動作が、「戦士」という語で一気に劇的な意味を帯びる。強い日差しや暑さという目に見えない敵と戦う存在としての、まさに“戦士”像が浮かび上がる。ポケットには、水分補給のための水や塩あめも。熱中対策にぬかりはない。猛暑、酷暑の中の通勤や外出は、命懸けである。

雷が去ってトマトにかぶりつく
林 操

激しい雷の後に訪れる静けさと、真っ赤なトマトにかぶりつくという命を漲らせるような行為が対照的。雷の緊張感が過ぎ去った解放感と、トマトの瑞々しさが重なり、鮮やかな情景を生み出している。自然の力強さと人間の小さくとも生きる力を感じさせる日常が同じ時間軸で響き合っている。

屈伸をしないと折れる水平線
西山奈津実

折れるはずのない水平線。その水平線に、「屈伸」という動作を結びつけると人間臭い水平線に。悠然と構えているような水平線でさえも、後を絶たない災害、戦争等に、ストレスが溜まっているはず。しなやかに屈伸するような柔軟さを持たなければ、身も心も折れてしまう。大胆な発想が光っている。今夜も屈伸運動に余念がない水平線である。