2月の会員作品を読む

2026年2月   芳賀博子

今月の風

まつパした馬が家父長制を蹴る
温水ふみ

今年は午年ゆえか、年明け以来、会員作品欄にも個性派の馬たちが次々に駆け抜けている。今月はついに、まつパの馬が登場した。くるくるのまつ毛パーマで気合を入れて、家父長制を蹴るとはなんと痛快な。「まつパ」というポップな現代語の軽やかさと、「家父長制」なる重く時代を感じさせる語の距離が、この句に独特の勢いを生んでいる。若々しく強烈な一撃は、旧態依然の価値観にさらなる風穴を開けてくれそう。

馬の目に映る未来をいただこう
藤山竜骨

馬のそばにたたずみ、その目に映るものを見つめている。邪念のない目は、遥かな山や空をあるがままに宿し、その景を作者は「未来」とした。下五の「いただこう」は、強く求めるのではなく、穏やかに受け取る姿勢を示し、余韻を深めている。もう自らが先頭に立つ世代ではなくとも、未来へと誘ってくれる存在がいるという安堵。句には清々しい風がそよいでいる。

賀状見てたくさん届く問合わせ
吉田利秋

当人は気軽な近況報告のつもりだったのに、返信ならぬ問い合わせが次々に届く。年賀状じまいした人も多いゆえ、ひときわ目を引いたのだろう。あららと思わぬ反響に戸惑いつつ、ちょっとニンマリしているような作者の表情も浮かんでくる。久しぶりに電話で聞く声もあったろうか。年毎に、賀状一枚の持つ重みとあたたかみが増していく。

断捨離であの日を拾う園だより
島貫麻衣子

「断捨離」は川柳でもおなじみだけれど、本作では対象が「園だより」であるのが新鮮だ。子どもが卒園して久しいのに、手元に残っていた一枚。捨てようと手に取った瞬間、「捨てる」が「拾う」へ反転して、あの日の情景が立ち上がる。遠足とか運動会、あるいはなんでもない「あの日」からさまざまなシーンが動き出し、読み手にも懐かしい記憶を呼び覚ましてゆく。

できるだけ毛深い招き猫選ぶ
小沢 史

それはなにゆえ? 毛深い方がご利益があるのだろうか。というか、そもそも招き猫に毛はあったかしらんと検索してみたら、いくつか見つかった。ふわふわした可愛らしいぬいぐるみの招き猫など。けれど本作が指しているのは、おそらくそちら系ではなさそう。「毛深い」にはもっと生々しく、ぞわりとした気配がある。主人公の願望の毛深さとでもいおうか。そんな願望を叶えてくれそうな一体を選ぶ目は、どこまでも真剣。

花言葉 足し算にして試歩の庭 
杉山昌善

しばらくぶりに庭へ出ると、新しい花々が咲いている。養生している間にも季節は移ろっていたのだ。花にやさしくなぐさめられながらも、思いのほか長く外へ出られなかった日々を、しみじみ思い返しているのかもしれない。けれど日差しは明るく、花にも、花言葉にもひとつひとつ力を得て、一歩ずつ。句はその確かな足取りをやわらかに伝えている。

オレの背に白が静かにロックオン
稲葉良岩

ロックオン。比較的新しい言葉のようでいて、近ごろは中高年のふだんの会話でも耳にするようになった。「集中する」や「狙いを定める」を「ロックオン」で置き換えた方が今っぽく、どこか軽く響く。その軽さと「オレ」のギャップが可笑しいけれど、では「白」は何を指すのか。たとえばピュア過ぎる善とか、迷いのない正論とか。そんな白にロックオンされて、大きな背中はフリーズしたまま。

世界地図眺め私の仕舞い方
林 操

「私の仕舞い方」とは、すなわち終活だろうか。けれど眺めているのが世界地図というのが独特だ。この先をゆっくり閉じていくのではなく、むしろ思いっきり世界へと広げて、何を思案しているのだろう。人生のごほうびに世界一周旅行とか、あるいはまったく逆に、世界の紛争地に思いを馳せながら、これからの生き方をじっくり見つめているのかもしれない。

 

光輪は消えた帰りに牛乳を
宮井いずみ

光輪がふっと消えて、現実に戻る。あ、そうだ帰りに牛乳買わなきゃ。似たような感覚を覚えたことがある。虹を見たときだったか。本作は「光輪」という一語を用いることで、牛乳という日常との落差をいっそう際立たせている。そしてその光輪がまた謎めいている。自然現象としての光輪か、仏教的な後光か、などとイメージを喚起しながら、消えた光輪は、なにかほのかな幸運の兆しのようにも思えてくる。