2022年4月 西田雅子
会員作品第9回をお届けします。
日本列島がピンクに染まる季節になりました。
ただいま、桜前線北上中。
ゆにの会員作品も満開です。
今月の風
重かったその一言で象動く
堀本のりひろ
どのような重いことばだったのだろう。そのたったひと言で象が動いてしまう。ここでの象は動物の象ではなく、それほど重い事態があったということか。どんなにがんばっても、どうにもならないことが、あるひと言で動くことがある。象が動くほどの、ひと言のことばの重さ、強さ。
ベドウィンの右から濃ゆい伝承の風
四ツ屋いずみ
アラビア語で「砂漠の住人」を意味するベドウィン。国境を持たない遊牧民で、北アフリア、エジプト、イスラエル、イラクなどの砂漠地帯の幅広い範囲に住む。近年では、物質的な豊かさにあこがれ、定住する人々も多くなったようだ。その中でも、伝統に従い、独立した遊牧生活を営むベドウィンは、部族の中で、慣習や文化、信仰等を代々受け継ぎ、次の世代に伝えているのだろう。熱く乾いた風に吹かれ、悠久のときの流れを見つめるベドウィンの誇り高い横顔が、目に浮かぶようである。
手首にも婦人画報を持つ力
小原由佳
「婦人画報」といえば、セレブ女性のための高級誌というイメージ。全ページオールカラーで、ページをめくるごとにため息が出るような高価なファッションやグルメ、旅、ゴージャスな品々の数々…クラクラするような非日常の世界へ連れて行ってくれる。が、この雑誌、なんといっても重い。手に持って読むには重すぎる。私は買わずに、もっぱら美容院で読む。次第に腕が痛くなり、クラクラする世界もちょっと重い。「婦人画報」は手首で読む高級婦人誌である。
毛筆にこだわり書けぬ果たし状
菊池 京
前時代的な果たし状!果たし状なのだから、敵を威嚇するようでなければ。それには、万年筆でもマジックでもなく、筆!普段使い慣れない筆だが、ここはやはり毛筆でなくては。「果たし状 五時に一人で河原に来い!」を太く、濃く、書く。ん?書き始めると、トメやハネがうまく決まらない。これではこちらの本気が伝わらないではないか。書き損じも多くなり、書く気力も萎えてしまいそう。果たし状=毛筆、にこだわり過ぎたか。果たし状の唐突感。本来の目的である決闘(?)までいけないもどかしさ、ふがいなさも。
ぬむぬむと夜しむしむと股関節
北川清子
ぬむぬむも、しむしむもあまり聞かないオノマトペ。が、夜と股関節の存在感がすごくて、二つを表現するには、これ以上のものはないのだろう。ぬむぬむと夜に沈み、しむしむと股関節が痛む。なかなか夜が明けない。
行間を断熱材で埋めなさい
河野潤々
手紙だろうか。行間を読む、とよく言うが、その行間から溢れる熱さといったら。文面を押し分けて溢れ出てくる思い。行間にこそ伝えたいことや、真意が込められているのかもしれないけれど、思いのこもり過ぎた行間ほどしんどいものはない。どうにか、この思いの熱量を下げなくては。で、住宅の壁等に使う断熱材とは!この無謀さが川柳人。
春サラダマヨネーズ派かインスタ派
妙
彩り鮮やかで華やかな春サラダ。マヨネーズをこよなく愛するマヨラーでなくても、マヨネーズがたっぷりかけたサラダは美味。なにしろ、マヨネーズと言えば、100年近くの歴史があり、ドレッシングの中では不動の地位にある。かたや、インスタ。新参者であるものの、今やインスタ映えするかどうかは大きなポイントで、インスタ映えしなければ、春サラダといえないかも。マヨネーズ派かインスタ派、と異質なものを並列して提示することで、春サラダは、より春サラダに。
ゴミ屋敷落としどころも捨ててゆく
飛伝応
ゴミが野積みのまま放置されたゴミ屋敷は、隣り近所にとっては衛生上、防犯・防火上、美観からも迷惑この上ない。この人物もそう思っているに違いないと思いきや、2句目、3句目を読むと、どうやらこの人物がかつて住んでいた自分の家のよう。「半開きの金庫」「声かけてきて困る」と、ドキッ。まるで、空き家になっている私の実家のことのようだ。母しか知らない暗証番号の金庫。母が亡くなったあと、プロに頼んで無理やり開けた金庫は半開きのまま。空き家の実家から帰ろうとすると「帰らないで!」と家の中から声が…。他人から見ればゴミの山に見える物も、当人にすれば、すべて思い出の詰まった物ばかり。処分しなければとゴミ屋敷を訪れるたびに思うものの、思い出にどっぷり浸かり、結局手をつけずに帰ってしまう。捨てる、捨てないの折り合いがつかない。まさにその落としどころまでも置いてきてしまう。また1つ大きなゴミが…。