残響も八十四年生まれかな
平岡直子
何歳、ではなく生年。
だから「かな」という感懐は、
若さや老いに対してではなく、
八十四年生まれゆえの何かにかかっているのだろう。
と、ふと、本作がみるみる時代性を帯びてくる。
まったく人生は何年生まれかによっても
大きく左右されるものであることを、
このコロナ禍の2年にいっそう痛感した。
よりによって受験や就職が重なってしまって
「なんで今だよ」と天を仰ぐ人たちの姿が
ニュースにもなった。
けれど。
そんな時代性と同時に
やわらかな普遍性もまとった一句だと思う。
残響。
このたった一語が、最大限の働きをもって、
なんともいえぬ嗚呼を誘う。
きっと読み手が何年生まれであろうと。
出典は平岡直子川柳句集『Ladies and 』。
歌人としても活躍する著者の第一句集。
白鳥のように流血しています
夏服はほとんど海だからおいで
といったガラス片のような詩情に摑まれる一方で
鮫の歯は抜けて小さな鮫になる
さかさまの登山のようなお葬式
変身のあとに残った包み紙
個性的にしてアフォリズムめく川柳性が魅力。
(平岡直子川柳句集『Ladies and』
左右社 2022年)
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