無神論者と静かなる神馬の瞳
淡路放生
神馬。
すなわち、神の乗用として、また祈願祈祷のために神社に奉納する馬。
ちなみに「絵馬」は
生きた馬の代わりに絵に描いて奉納したのが
始まりといわれているそうだ。
「神馬」の読み方には、
シンマ、シンメ、シンバ、ジンメなどいくつかあるも、
掲句では「シン」で始まる読みで読みたい。
「無神論者」「静かなる」「神馬」、
それぞれの含む「シ」の音が連鎖することによって
静謐の緊迫感もいや増す気がする。
さても、無神論者と神馬の対峙が鮮烈だ。
が、両者は対極にありつつ表裏一体のようにも思える。
どちらの眼差しも澄み渡り、
虚無のようなものを湛えていていて、
淡路放生氏は最新作も、またまたカッコイイなあ。
氏は高松在住。
もう十数年前になるか、
ある雑誌の取材で高松に伺ったことがある。
弱輩の不躾な質問にも率直に答えてくださり、
川柳の話、俳句の話、人生の話・・
でもって喫茶店では終わらず、
そのまま近くの居酒屋へ。
とても清々しい一献だった。
正夢の町歩きいる夕遍路
玉葱のひかりうれしく微塵に切る
こちらも「川柳葦群」最新号に掲載の句。
切りたて刻みたての玉葱のひかりが
私もうれしい。
(「川柳葦群」第69号
編集人・発行人 梅崎流青 2024年4月)
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