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2024年11月   西田雅子

今月の風

ユーミンの校内放送秋揺らす
森平洋子

ユーミンの曲が、秋の気配が漂う校内に流れる情景。ユーミンの曲はノスタルジックな雰囲気があり、秋の寂しさや切なさがより一層深まりそう。「秋揺らす」からは、曲と共に心も揺れ動き、秋の静かな空気までが揺れているような感覚に。「校内放送」という限定的な空間に、ユーミンの曲と秋。それぞれの青春の一コマを彷彿とさせる一句。

計画が崩れる音と雨の音
小原由佳

「計画が崩れる」に、計画が予定通りにいかない以上の挫折感や無力感が象徴されている。「崩れる音」とは、心が折れる音でもあるかのよう。対照的に「雨の音」は、自然界のものでありながら、無機質なリズムを思わせる。静かに降る雨は浄化や癒しとなる一方、感情が沈んだり、孤独感をもたらしたりする。折れた心を、雨音はやさしく包んでくれたのだろうか、あるいは、容赦なく降る無情の雨音の中、受け入れがたい現実と向かい、呆然と立ち尽くしているのだろうか。

譜面には無い音がする十三夜
桂 晶月

こちらの「音」は「譜面には無い音」。人が作り出した音ではなく、十三夜だからこそ自然界から感じる感覚的な音かもしれない。風の音、虫の声…。十三夜の月明りの下で聴こえる神秘的な音。秋の終わりや季節の移り変わりを予感させるような儚さも感じられ、譜面に無い音は、はかなく、いつかは消えてしまうものかもしれない。どこか寂しさや過ぎゆく時の哀愁を感じている心情も伺える。秋の自然の美しさと静けさの中に、自分の存在や思いが溶け込み一体となってゆく。

佳境にはいる水栽培の空と水
澤野優美子

空と水の対比が、シンプルな水栽培の美しさを引き立てている。透明感や清らかさ、空の広がりと無限の可能性。生命の源である水。水栽培という小さな宇宙の中で、成長に欠かせない太陽の光と水。今まさに、空と水の共同作業による成長のプロセスのクライマックスに。

雷神に喉飴ひとつあげました
杉山昌善

今年の雷神は、例年になく日本の至る所で雷や嵐を起こし大暴れ。さぞかし喉を痛めたことだろう。激しく声を出し過ぎて喉を痛めたそんな雷神に、「喉飴をあげる」というかわいらしい行為で、なんだか雷神が親しみやすく、身近な存在に思えてくる。喉飴をもらって、雷神はおとなしくなったのだろうか。それとも、のどの調子もよくなり、またどこかで大暴れしているのだろうか。

いざという形に腕は上がらない
吾亦紅

「いざという形」の腕の上がり方とは、具体的にどんな状態か。いざ、物を持ち上げようとか、いざ何かに身構えるときとか、腕が力強く動くべき場面に、腕に力が入らない状態かもしれない。だとすると、日常的に起こるかもしれない緊急時や、いよいよという「いざ」のときを思うと、甚だ心もとない。「いざという形」は物理的な動作だけでなく、心理的な不安感や自信のなさを表しているのかもしれない。

人類の不幸ノーベル平和賞
田尾八女

今年のノーベル平和賞は、日本の「被団協(日本原水爆被害者団体協議会)」に授与された。核兵器という人類の大きな不幸と矛盾。核兵器による悲惨な被害を象徴し、それが平和賞の背後にある大きなテーマとして浮かび上がってくる。ノーベル平和賞が存在するのは、世界に戦争や紛争、差別や不正等が絶えず続いているからで、人類が平和を成し遂げるための象徴であると同時に、未だに解決されていない問題や不幸の存在を示唆している。問題が解決されたわけではない。

パンドラの箱から溢れだす母音
真島久美子

パンドラの箱は、開けてしまうとあらゆる災いが世に放たれるという象徴的な箱。ここでは、神話的なイメージのある箱から溢れてきたのは、数多ある災いではなく、「母音」。母音の「母」には、命の源や無償の愛を連想させる。パンドラの箱が開けられ、絶望の中から浮かび上がる希望のような存在。災いがあっても、再生や新たな息吹を感じさせる「母音」と思いたい。



素粒子の好きにさせとく晩秋に向け
四ツ屋いずみ

普段は素粒子なんて全く意識しないのに、素粒子に意識が向かうのは、もの思う晩秋だからか。極々微小のミクロの世界の素粒子の動きは、私たちのコントロールが及ぶ世界ではなく、当然季節とも無関係なはず。こちらの気持ちにおかまいなく勝手に動き回る素粒子は気になるが、好きにさせておき、こちらは秋から冬への季節の移ろいに身を任せよう。