去年のコロナ禍の緊急事態宣言下の駅。不特定多数の人が行きかういつもの駅は閑散として、がらんどうのよう。そんな駅を見て、それまでは思わなかったのに、駅にはたくさんの思い出があることに気づいた。
昔、文書や物を運ぶため、馬を繋ぎとめ、一定の距離を置いて、次々馬を乗り換えるための中継所があった。それが今の「駅」につながっていったらしい。
以前は点と点を結ぶ点であった駅。廃線により消えていく駅もある一方で、再開発事業の名のもとに、駅は、点から線へ、上へ下へと膨張し続け、どこまでが駅なのか、またどこからが隣りの駅なのかわからないほどに。
コロナ禍の中、1年以上実家に帰っていない。思い出すのは、寒い日も、暑い日も、亡くなった父が改札で私を待っていた、急行の止まらない小さな駅である。
アルバムの隙間に駅のベルが鳴る 前中知栄
「夢であいましょう」のあった始発駅 みつ木もも花