4月の会員作品を読む

2026年4月   芳賀博子

今月の風

明日にはきっとアニメになれる兄
下野みかも

「アニメになれる」とはユニークな表現。兄からはいつもバキューンとかダダーッみたいな吹き出しが溢れ、ひょっとするとその行動に家族は振り回されっぱなしなのかも。すなわちドラマチックというより、まことアニメチック。でもそんな兄に手を焼きながらも、どこかワクワクと気にかけずにはいられない。明日には「きっと」と、ちょっと突き放しつつも愛情のにじむ句。さあ、明日はどうなる。

お隣りの溝もお掃除春よ来い
弘津秋の子

日差しがちょっと明るくなって、気分もふっとほころんだようで。いつもの溝掃除もちょっと延長して、お隣さんのところまでサービスして。「お隣り」「お掃除」の「お」の接頭辞がほがらかに働き、品の良い物腰や界隈の穏やかなたたずまいを物語る。下五の「春よ来い」のやわらかなハネようにも微笑を誘われて、ほんに、もうすぐ春ですね。

しあわせの免許ずうっと不携帯
芝岡かんえもん

ボヤキがリズムにのって可笑しみに転じられている。「ずうっと」の音の伸びは、ただの音数合わせではなく、深い実感が込められての「ずうっと」だろう。「しあわせの免許はあるんだよ。ちゃんと更新もしてるしさ。ただ不携帯ってだけでさ」とご当人はおっしゃるけれど、不携帯ってそもそも反則金ものですから、とお約束のツッコミを入れさせてもらって共笑い。

はんぺんがカオスになっているおでん
平尾正人

ナハハのおでんあるある、である。このはんぺんは二日目か三日目か。ぶわぶわにふくらんでしょうゆ色になり、嗚呼と軽い吐息をついている。一見、ただそれだけの句のようで、「はんぺん」「おでん」の、のっぺりゆらんとした字面や音感にはさまれ、「カオス」のみがカタカナ表記で「カ」のk音の引っ掛かりが目立つ。はからずも、心の内のカオスがあらわれてしまったよう。

申告の数字に沈む桜パフェ
西田雅子

お洒落な桜パフェ。時節柄、「申告」に確定申告を思い浮かべた。友人曰く「一年のなかで、確定申告を終えたときが一番解放感に包まれる!」。しかし掲句では、やりきったごほうびのはずの桜パフェが沈んでいるのが気になる。なにか小さな不備でもあったのか。あるいは、ちょっとした数字の間違いが、ふわふわとした春愁の誘い水になってしまったのか。

真横流れる春寒の三連符
四ツ屋いずみ

おそらく春を告げる音符というものが、どんな空間にもニュートリノみたいに満ちているんだろう。もちろんほとんど気付かれることはない。けれど作者の耳は、はっととらえた。真横を流れたから? 三連符だったから? いやきっとそれほどまでに感覚が研ぎ澄まされていたのだと思う。粒子ほどのわずかな音が、まるで流れ星のように過ぎたら、春と希望の前兆。

遺伝子が椿の赤に反応する
河村啓子

椿の鮮烈な赤に、遺伝子レベルで反応してしまうという感覚に驚き、惹き込まれた。椿は古事記にはじまり、時代劇などにも象徴的に登場するクラシカルな花で、どこか宿命めいた気配を帯びている。家系図をたどれば、赤い椿にまつわる劇的な出来事がひとつくらい潜んでいたって不思議ではない。そう、この「椿」は動かない。薔薇やチューリップでは、この反応は生まれない。椿の赤だからこそ、遺伝子にまで響くのだ。

春キャベツたまには愛を語ります
おおさわほてる

「春キャベツ」で切れていると読んでもいいし、春キャベツが愛を語っていると読んでもいい。どちらの読みも許してくれそうな大らかな寛容も、巻きのゆるい「春キャベツ」ならでは。「たまには」だから、ふだんは口数が多くはないけれど、その、たまに語られる愛がやさしい。ざくっと一枚、葉をめくれば、なにもかも包み込んでくれそうだし、噛みしめればみずみずしくほの甘い。

 

イヤホン外す青空の青過ぎて
森平洋子

イヤホンをして、ふと顔をあげた先に空があった。その青すぎる青に、思わずイヤホンを外した。なんでもない一連の動きがハイスピード映像のように美しく立ち上がる。さらに、まったくなんでもなくない瞬間としてドラマになってゆく。閉じていた世界が、不意に青の強さによって押し開かれ、その青のなんという果てしなさ。