総評

2022年7月   西田雅子

会員作品第12 回をお届けします。
梅雨のない北海道をのぞき
梅雨はいったいどこへ?と思っていたら 
ぞくぞくと早い梅雨明けです。外はすでに真夏の暑さ。
冷房の効いたお部屋で、外出先で
冷たいドリンクを飲みながら
ゆに作品で涼んでください。

今月の風

一人の時間安威河原0番地
弘津秋の子

今まで何回か引っ越して、思えばそばには川が流れていた。通勤通学の電車で何度も渡った川も数えるとかなりになる。川それぞれに個性があり、表情があり、天候や季節ごとにもちがう。川をぼんやり眺めていると、川の流れに合わせて、いろいろなことが思い出されることもあるし、何も考えずに川の流れの時間の中に佇むこともある。そう言えば、川に番地はあるのだろうか。川に番地がなければ、河原にもないのかも。とりあえず0番地としておこう。ひとりの時間が待っている私の大切な0番地。

あるだけのカネをリュックに入れなさい
吉田利秋

勤めていたときの新人研修で、講師に「命の次にお客様が大切にしているのは何ですか。」と聞かれ、誰かがボソッと「お金、かな。」と言うと、すかさず「ちがいます!オツウチョウです!」と講師。オツウチョウ?ああ、お通帳ね。大きな金額のお金を現金のまま家に置いている人は少なく、大抵は通帳に入れておくという昭和の話。で、掲句。「あるだけのカネ」を「リュックに入れる」ほどのお金を、お通帳でなく、タンス預金として手元に置いていたのだろうか。さて、どんな場面か。豪雨か津波等の避難警告があって、避難する際に家族に対して言ったのか。あるいは、強盗が家に入ってきて脅されているのか。そのような緊張感や緊迫感とはちょっとちがうどこかクールな、それでいて若干の威圧感も。いずれにしても、あるだけのカネをリュックに入れなければ。

戦火は続く満月いくど渡ったか
浅井ゆず

世界中のどこかで今も続いている内戦や侵攻等の戦火。上空を渡る度、月の光に照らし出された眼下の惨状に、月も胸を痛めていることだろう。次にこの地の上を通るときには、戦車もミサイルもない平穏な景色が、どうか広がっていますように。

あと二人揃えばドクダミになろう
岡谷 樹

何年か前、実家に帰ると、庭がドクダミに占領されていた。1か月前にはこんなになかったのに、梅雨に入って猛烈な勢いで増えたらしい。繁殖力が強く、駆除もたいへんな雑草とされている。ある日、父がお世話になっているヘルパーさんが庭を埋め尽くしているドクダミを見て、「わぁ、きれい!」と声を上げた。ドクダミは、一方で十薬と言われているだけあって、民間薬としても利用されている。ヘルパーさんはもっぱら化粧水に使っているとのこと。さて、掲句。あと二人揃ったらドクダミになって何をするのだろう。庭のドクダミのように、あの繁殖力で何かを凌駕するのだろうか。それとも、十薬と言われるように役に立つ薬や化粧水のような存在になるのか。この段階では、どちらになるのかはわからない。何かを企んでるただならぬ気配も。不吉な予感も漂わせながら…。あと二人って、誘われたらどうする。

ルート66あんたが待っていてくれる
川田由紀子

アメリカの東部と西部を結ぶ全長3700㎞に及ぶ旧国道。州間高速道路の発達によって役目を終え、1985年に廃線。スタインベックの小説「怒りの葡萄」ではマザーロードとして、また映画や音楽などの中にも多く登場。今でもアメリカン・ポップカルチャーの題材にされている超有名な旧国道である。ルート66というだけで、アメリカの国道にもかかわらず、何か懐かしい昭和への郷愁を感じる。「あんた」とは、ルート66に憧れた同じ昭和のあの世代。

手相から二色足りない虹が出る
菊池 京

手相を見てもらったところ、なんと虹が出ていると!イエーイ!ラッキー!が、よく見ると二色足りないという。えっ?そんな…。二色って、なに色が足りない?赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の中のどの二色だろう。調べてみると、江戸時代は五色だったとか。赤と橙、橙と黄や他の色も境はむずかしい。国によってもちがうらしく、ドイツ、フランス、中国では五色とか。色の境が時代によっても国によってもちがうようだ。つまり、手相に出た虹は、江戸時代の虹か、あるいはどこか外国の虹か。虹は、雨上がりなど、空中にたくさんの水滴があるときに、太陽の光が水滴に当たることでできる。たくさん泣いた涙に当たる光が少なかったから二色足りなかったのか。それとも流す涙が少なかったからか。いずれにしろ、虹にはちがいなさそう。なにより、てのひらから虹が立つのは美しい。やはり、ラッキー!と思う。

受話器から畳んだ月をあなたへと
千春

受話器の向こうのあなたとは、たわいのない話が続いている。ほんとうの気持ちはことばでは、なかなか伝えられない。あなたを大切に思う気持ちを直接届けたい。そんな気持ちを小さく畳んで月に託して、受話器を通して伝えられたら。あなたも同じ月を見ているはず。どうか届きますように。

缶パイン途方に暮れたがりどうし
芳賀博子

わが家にもあるパイナップルの缶詰。保存食用兼何かの足しにと、買い置きをしていた。棚の奥の隅にあり、ときどき目に入るが、気になりつつ、非常食として取っておこうとそのままに。フルーツ缶詰の賞味期限はどのくらいなのだろう。半年や1年は大丈夫そうな気がするが、その先は…。調べてみると、空気が入っていない限り、腐ることはないので、3年、5年は OK らしい。さすがに10年は…これも空気が入っていない限り、殺菌処理と真空状態になっているので食べられるそう。ただし、フルーツの原型を留めていない可能性や、味も変わってしまっている可能性もあるようだ。さて、わが家のパイン缶は、いったい何年ものか。開けてみる勇気はない。中のパインは、ひたすら開けられるのを待っているのだろうか。開けられずにこのまま崩れてゆくのを待つしかないのか。缶の暗がりの中で、パインは途方に暮れているかもしれない。私もそんなパイン缶を目の隅に置き、途方に暮れている。