総評

2022年12月   芳賀博子

12月の会員作品をお届けします。
慌ただしい年の瀬、しばしことばの紡ぎ出す世界でおくつろぎください。

今月の風

壺ひとつ呑み込んでゆく収集車
笠嶋恵美子

壺!?  呑まれゆくものを思わず二度見する。怪しげな骨董っぽいけど、ちゃんと持ち主の意志で処分されたのかな。壺なるもの、値打ちのわからん家族にはまったく邪魔でしかないけれど、念のために一度鑑定してもらってもよかったのでは。などと、なぜか一読者の私を落ち着かない気分にさせる「壺」パワー。ところで当サイトの人気連載、西田雅子の「コトノハららら」の先日のテーマが「壺」(11月21日付)。それをお読みいただくと、さらに
この壺が謎めいてくるかも。

私の生息域にない景色
平尾正人

目をまんまるにした驚きとおののきの表情が見えてくる。げに「生息域」が多様な読みを誘う。「生息域」が場所ならば、たとえば目にしているのは遠い旅先や故郷を離れての新天地での景色とか。一方「域」は階級とも読める。ならば一攫千金のIT長者が住むタワーマンションの最上階からみた大都会の夜景なども、あり得るか。

顔面に引っかき傷の流れ星
落合魯忠

しゅっ。流れ星が頬を掠めたらしい。ほんの欠片どころか、もう微粒子レベルなのにしっかり傷をのこした。いやはやニンゲンの厚い面の皮なども、ものともしない硬度と速度。さすがは星だ。さても流れ星の傷とはカッコいいなあ。ちょっと人相に箔のついた主人公がニッと笑うとまたシブい。 

張り出した根っこ足元ご用心 
林 操

思いがけないところまでたくましく張り出した根っこ。すくすく育つのを見守りたくも、放っておくと誰かをつまずかせることもありそう。なので、みなさま足元ご用心、とさりげなく気を配っている。お互いに悪気のないもの同士がトラブルにならないための、ひと声。あ、でも、もしかしたら、根っこの主は作者自身?

読みかけの秋へ入ってきたテクノ
斉尾くにこ

「テクノ」にもいろんな意味があるけれど、わが世代的には即あのテクノポップです。YMOを筆頭に、さまざまなバンドが1970年代の終り頃から80年代にかけて世を席捲したっけ。さて本作。懐かしのあのテクノが不意にラジオから流れ、懐かしんでいるような光景が浮かんだ。「読みかけの秋」ということばのアナログな静謐感とテクノのギャップが印象に残る。秋はあの頃の音も記憶もはじき返すことなく、すべてをやさしく受け入れているよう。

あの頃が落ち着く先の砂時計


こちらの作品も「あの頃」がモチーフ。けれど、すぐに天地さかさまにされる砂時計の中で落ち着くことができるのだろうか。はい、おそらくできるだろう。砂粒となってさらさらと落下してはひっくり返され、行きつ戻りつする時間。けれどガラスの中に封じ込めてしまえば、二度と胸の中に砂嵐を起こすことはないから。

晩秋の果て大仏を蹴飛ばす
河村啓子

なんと罰当たりな、って? いえいえ、罰が当たったりしませんよ。なんたって大仏様ですからね。さて晩秋の果てにいるのは主人公か。はたまた晩秋の果てまで大仏様を蹴飛ばすのか。後者だとしても大仏様は受身マスターであるゆえ、晩秋どころか宇宙の果てまでふっ飛んでもらっても大丈夫みたい。それで迷える民の心が救済されるなら、とね
。ところで創作において、川柳という文芸もまた受身マスター。ゆえにもう思い切って振り切って大胆にありたい。

だんだんと和音になってゆく一人
森平洋子

おしまいの「一人」にはっとした。二人とか三人なら、ああだんだんと美しいハーモニーになってきたんだなと句意明快。だけどわかりやす過ぎて凡庸。だから本作の眼目は「一人」とした点にあるし、よくよく耳を済ませれば私という一人の中からも和音が聴こえてくる気がした。一人で抱え込んでいた矛盾や軋轢が、ほんの少しのあきらめとともに、徐々に和音を奏ではじめたようで。

 

 

KONNAYOHA、YOSHIIKUZOUNO「SAKEYO」WOUTAU。
須藤しんのすけ

一体何語? と指先でアルファベットを辿ってみたら、シンプルでウェットな日本語だった。私流に変換すると「こんな夜は、吉幾三の「酒よ」を歌う。」。でもなぜわざわざローマ字表記にしたのか。いや、だからそこを読み解いてくださいね、という作者からの挑戦状めいた一句を楽しませてもらう。まず思い浮かんだ絵は、主体が外国人、ロボット、AI。続いて、作者自身の気分を表記でも表現したかったのかなと推理した。ほら、ローマ字表記すると「吉幾三」や「酒よ」のウェットさや、ついでにアルコール分まで飛んでしまって、酔えない男のひとりカラオケなんて風景も想像されませんか。