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2023年9月   芳賀博子 

今月の風

ひとりぼっちの家族会議が始まった
伊藤聖子

「私」は何人いるんだろう。脳内のテーブルをぐるっと囲んで侃々諤々。「ポジティブ」な私が意見を出すと、とたんに「ネガティブ」の私が水を差す。ってそんな映画もあったな。確か真木よう子主演の「脳内ポイズンベリー」。恋するヒロインの頭の中を五つの思考がせめぎ合い、会議を繰り広げるというラブコメディ。もっとも本作の場合、上五の「ひとりぼっち」が強く響き、議題はいささかシリアスよう。でもきっと大丈夫。これまでいろんな山あり谷ありを経験してきた「私」
が知恵を出し合えば、きっとなんとかなる。

だくてんのところにひそむところてん
西山奈津実

だくてん、ところ、ところてん。もちろんくとうてんもないオールひらがなの句は、転がるように軽やかなリズムの言葉遊びが楽しい。けれど「ひそむ」がなにやら意味深だ。だくてんのてんてんの隙間からいきなりところてんがにゅるっ、っと飛び出してきたらどうしよう。絵本をめくるように次の展開にワクワクドキドキ。

断捨離が足の踏み場で進行し
飛伝応

断捨離という言葉が世に広まったのは、2009年に刊行されたやましたひでこ著『新・片付け術 断捨離』がきっかけとか。以来14年の歳月が経ち、一体どれだけの人が断捨離に成功し、挫折し続けているんだろう。川柳にも数多詠まれきたけれど、本作は「足の踏み場で進行」という表現がユニークで可笑しい。今日こそ断捨離を断行せんと引き出しや押し入れからモノを引っ張り出したものの、たちまち足の踏み場もなくなって立ち往生。いや、一応、進行中なんですよね。さて、日の暮れるまでに、どこまで片付きますかねえ。

読経にスイングしてる母の霊
林 操

天寿をまっとうされたのだろう。僧侶の読経が読み手にもジャズのように聴こえてくる。その韻律にスイングしながら、微笑みながら、御霊がゆっくりゆっくり雲へと昇っていく。見送る家族の顔にも涙と微笑みが浮かんでいる。どちらも、ありがとう、ありがとうと、名残を惜しみながら。さてもスイングが秀逸。その明るさが、悲しみや寂しさをいっそうしみじみと深く湛えている。

水割りの水もかつてはにわか雨
伊藤良彦

お洒落なバーの止まり木が浮かぶ。ハードボイルド小説を地で行くような主人公。あの時のにわか雨が今宵のグラスに注がれるまで、どんなドラマがあったのか。出逢いと別れ・・さまざまにドラマがふくらむ。下五の雨から再び時間がさかのぼり、また雨へとつながってゆくメビウスの輪のような追憶の時間に、琥珀の液体がよく合う。

雹は降りつづき十年経っている
重森恒雄

こちらは雹だ。今年の夏は各地で降る雹がよくニュースになった。当方が住む界隈ではめったにない気象現象だけれど、とにもかくにも積乱雲から降ってくる氷の塊。大きさは豆粒から、なかには鶏卵ほどのものまであるそう。
そんな雹が降り続けて、しかも十年も経っているって。ひょっとしてこれは失恋の句? とすると一転、切々とロマンチックな情景にも思えてくるけれど、やはりもうそろそろその痛みや冷たさからは脱出して欲しい気も。

モロヘイヤ叩く延長戦になる
川田由紀子

なるほど、モロヘイヤの叩きね。さっと洗ってさっと茹でて刻んで、あとは包丁で粘り気が出るまで叩くだけ。いたってシンプルなメニューながら、そのネバネバは夏バテにも効果あり。延長戦への備えとして確かに、今日のメニューに加えたい一品だ。「叩く」がコミカルに勇ましく、「延長戦」とマッチしている。ところで何の延長戦かしらん。まだまだ続きそうな残暑との戦い? それとも夫婦喧嘩?

猫じゃらしずっと振るのは無理だから
宮井いずみ

ふふふ、それはそう。はて相手は愛猫か、パートナーか。随分長い間、相方をあやし続けてきたご様子。
でもそれを当然として甘え続けられてもね、と言い含めようとしても、しれっとスルーされているもよう。一体どちらが懐柔しているんだか。「無理だから」と振り続ける猫じゃらしの揺れが、アンニュイで、それでいて、なんとものほほんとした幸せを、ゆらゆらとユーモラスに表現している。