6月の会員作品を読む

2025年6月   芳賀博子

今月の風

やわらかめの歯ブラシを買う梅雨曇
石野りこ

今年ははやくも梅雨入りで梅雨曇。空を見上げるとふっと心身もくぐもって、歯ブラシもいつもの「ふつう」タイプじゃなく「やわらかめ」のを買う。どんなささいな傷も付けないように。さて近年、気象病もよく話題になるけれど、そこまでではなくとも、日々の温度、湿度、雨や風の匂いは少なからず心にも作用し、ふるりと詩を生む。

手作りのアップルパイの幸福度
弘津秋の子

手作りのアップルパイというほっこりぬくもりある具象に、他人行儀な「幸福度」なる一語が続いている。ところで「手作り」とは、家族や友人など、よく知っている人の手によるものか、あるいは「手作り」をウリとした商品だろうか。ともあれ今まさにフォークを入れようとしている目の前のアップルパイは本来なら100%幸福であるはずなのに、そこを懐疑的に見定めようとする作者の屈託。

ママ友の三人円座転職サイト
朝倉晴美

「女三人寄ればかしましい」なーんてコトワザも今は昔であるけれど、この円座もなかなかに盛り上がっている様子だ。ワーキングマザーがスマホ片手に転職サイトをにらみながら、情報交換している。給与もさることながら、定時に終われるか、有休が取りやすいか、などなど、いくつもの条件を吟味して、次の一手を模索しながら、デザート(アルコール?)を追加、とか。いやなんともたくましく、「転職サイト」の字余りもその熱いパワーを伝えている。

後ろ歩きに適した靴を持っている
林 操

後ずさりではなく後ろ向き、ですね。つまりあの後ろ歩き健康法用の靴でしょうか。聞くところによれば後ろ歩きは「バランスや調整力、筋力の向上に役立ち、転倒のリスクを軽減できる」とのことで、高齢者に推奨されているとか。ただし歩くにはちょっとしたスキルも必要のようで、そこをきちんと押さえておかないとデメリットもあるらしい。作者はすでに実践中のようで、それ用の靴まで持っているなんて、その健康志向はしっかり前向きだ。

前向きに真摯に善処した結果
飛伝応

はい、そしてこちらはズバリ「前向き」ですね。しかしながら、不祥事の際にこのお決まりフレーズをうわべだけの誠意で言われても、まったく響かないし、事態もなんら改善されていない。というのを踏まえたうえで、その文言をチョキチョキそのまま切り取って、ぽんと一句として提示されている。敢えてここだけを切り取ってみせることで、痛烈な皮肉が効いている。

薔薇開く母の白寿を待つように
渡辺かおる

おめでとうと薔薇がまさに母の誕生日のタイミングで開いてくれた。と、そんな風に開花を受けとめて、書きとめられた一句もまた一輪の薔薇のごとく、みずみずしく香り立っている。かたい蕾がゆったりとほどけゆく過程が、リズムでも表現されている。まるで九十九年の歳月をかけて開いたかのようなファンタジックな想像も誘う祝福の薔薇は、深紅か、白か、ピンクか、さて。

いまさらの懺悔 しかめっ面Moon
四ツ屋いずみ

世のデジタル化で川柳を横書きで目にする機会もすっかり暮らしに定着した
。横書きは、句にアルファベットや記号を使う抵抗感やハードルを下げたからか、かつてと比べると使われる頻度がぐっとアップしたように思う。それがすんなり受け入れられているかどうかは、世代や柳歴によっても異なるかもしれないけれど、表現の選択肢が増えたとはいえそう。さて「しかめっ面Moon」。これはやはり「しかめっ面の月」でも「しかめっ面ムーン」でもない、「しかめっ面Moon」こそが作者の気分を言い得ているのだろう。懺悔の物々しさを茶化すようなMoonはライトブルーな光をやわらかに注いで。

別れの日コートの衿のいくじなし
杉山昌善

あらあらトホホ。ほんとはその衿をぴしっと立てて、クールにキメて、もう一度やり直したいと告げるつもりだったのにね。ところで昌善氏の代表作に「別れたい別れたい只今マイクの試験中」がある。脚本家でもある杉山昌善氏は、本作でもよれっとしたコートの衿にフォーカスして、味のあるドラマをコミカルに仕立てた。しかしやがてカメラは背後へまわり、男の背が往年の名優ボギーもかくやの哀愁を帯びているのを、じーんと魅せる。

ぼうぜんとのうぜんかずらかきいだく
たかすかまさゆき

ぼうぜん、のうぜんと間(ま)をとって韻を踏んでのち、「かきいだく」とカ行の音で下五を刻む。オール平仮名でいったん視覚的に意味を抜き取られたような表記にも茫然の様子が伺える。ノウゼンカズラは暑さに強く、蔓を旺盛に茂らせて、オレンジ色の花をふんだんに咲かせる植物。ゆえに、なにかのっぴきならない事態にこそ頼ってしまいそう。もしやかきいだけば、ぎゅっと抱き返してくれる、大事なパートナーが表現されているのかも。