9月の会員作品を読む

2025年9月   西田雅子

今月の風

情熱の切れ端だって旗にする
四ツ屋いずみ

「情熱の切れ端」とは、燃え盛る炎ではなく、燃えかす。それをここでは、失われたものの残りとして棄てるのではなく、「旗にする」という。旗は人を鼓舞し、理想や夢の象徴としての目印となる。力尽き、もはや欠片となった情熱でも、前に進むための力となる。心が折れそうになっても、切れ端さえあれば、大丈夫。逞しさと力強さとしたたかさ。

プールから上がる錨は置いてきた
森平洋子

プールから上がるとき、水に引き戻されるような一瞬の重力を感じる。その重さを振り払うように全身に力を込める。まるで、重い錨をはずすように。錨は本来、船を留めるもので、動きを止める象徴。それを「置いてきた」と言い切ることで、心の重荷や束縛からの解放感が伝わる。プールにあるはずのない錨を登場させ、プールという人工的で限られた水の空間からの浮上は、海への広がりと自由を感じさせる。と同時に、水の底に沈んだ錨は、もしかしたら、心のどこかにひっそりと沈んだままなのかもしれない。

夏休み家が散らかってなんかしあわせ
寒雷

普段であれば「散らかった家」は煩わしかったり、不快であったりだが、ここではむしろ肯定的に受け止められている。夏休みという特別な時間、家族や子どもが思い思いに過ごし、物が散乱している様子は、そのまま「生きている証拠」「しあわせな証拠」として映っている。「なんか」というカジュアルな口語表現が、理屈抜きにリラックス感と親しみのある句に。整然と片づけられた静けさよりも、散らかったままの賑やかさ、ゆるさに幸せを見出す感性は、川柳的な軽やかさで、破調もここでは、「散らかってる感」があって、なんかいい!

スキップが上手になって座る席
海野エリー

どこか学校の教室や児童館を思わせるような一句。子どもがスキップを覚え、上手に跳ねて、仲良しの席の隣りに自慢げにちょこんと座る光景。こちらまで気分が軽やかに。なにか嬉しいことがあったときには、思わずスキップしたくなる。ん? この齢になっても、スキップができるか。試しにスキップ!なんと、できない!膝がガクンガクンとギクシャクして、転びそうに。あぶないあぶない!スキップが上手にできるのはいくつくらいまで?

嘘だって言うなら見せる刀傷
黒川佳津子

どこかマンガや映画のワンシーンのよう。普通なら証拠を見せるといえば、手紙や写真類かもしれないが、ここでは大胆にも、なんと刀傷!大上段に振りかざしながら、もしかすると実際の刀傷ではなく、「心の傷」を冗談めかしていっているのかも。「嘘」と、「刀傷」という重いことばの取り合わせは、真剣なのか冗談なのか…その曖昧さを楽しめる句。

楔形文字から組み立てる晩夏
黒田弥生

楔形文字とは、古代文明、粘土板に刻まれた記号。そこから、晩夏を「組み立てる」という。厳しい暑さが残る中でも、蝉の声も聴こえなくなり、夕暮れが早くなったりと、わずかな秋の気配を感じさせる晩夏。微妙な季節の移ろいを楔形文字で、表現するのだろうか。古代には「晩夏」という言葉はなかったかもしれないが、 一抹の寂しさを伴い、夏の終わりを感じさせる晩夏は、古代から現在まで、相通じる季節感なのかもしれない。

若者と死を炭酸で割る
河野潤々

若者のもつ「生」のエネルギーと、「死」のもつ冷たいエネルギー。同じ延長線上に存在するような「生」を象徴する「若者」と「死」。圧倒されるようなエネルギーをもつ「若者」と「死」は、口にするには強烈過ぎる。ここは炭酸で薄めなくては。炭酸の泡で軽く飛ばして、いくらかはマイルドな口当たりにできるだろうか。冷たい炭酸の清涼感は、一瞬の現実逃避を象徴しているとも。

馬のころ見た海のこと話させて
温水ふみ

「馬のころ」とは、子供のころ、実際に馬に乗って海を見に行ったころのことか、少年期の奔放さを象徴する表現としての「馬のころ」なのか。そのときに見た海は、ただの景色ではなく、人生の原点となるような鮮烈な体験だったのでは。「話させて」には、全力で走ったあのころ見た海をどうしても伝えたいという熱い思いが込められているよう。聞くこちらも、思わず「なになに?」と身を乗り出したくなる。馬の「ウ」と「海」の「ウ」の重なりは、馬がそのまま海になってしまいそうな…。もしかして、あのころはほんとうに馬だった?


現住所「花の名前」を書いておく
杉山昌善

調べると「住所」は「人が生活の拠点にしている場所」、「所在地」は「人や建物、物などが現在ある場所」とある。住所は制度上、必要なもので、地名のあとの番地以下、数字で表すことがほとんどである。ここでは、現住所に、無機質な記号や数字ではなく、花の名前に置き換えるという。たんぽぽ通り、ひまわり荘、…よりさらに自由に、コスモス、りんどう、なでしこ…、自分の好きな花、思い出の花を書く。なんて素敵!心の中は自由。書類の住所欄を埋めるのに、花の名を書いて、ささやかな抵抗を。