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2024年9月   芳賀博子

今月の風

恋人にねだる台湾かき氷
黒川佳津子

「恋人にねだる」の後に、どんなスイーツを入れても句は成立はする。いやスイーツでなくたって、バッグでも指輪でも月でもタイムマシンでもOK。けれど一読、台湾かき氷が最高!って思った。ふわふわ氷にたっぷりのフルーツをトッピングした人気のアジアンスイーツは、その甘さも色彩もボリュームもきらめきも、主人公の恋情そのもの。凄まじく照りつける太陽ですら、二人の盛り立て役に甘んじている。

踏切がはにかんでいる夏の君
おおさわほてる

踏切のある情景は、それだけで物語性を帯びる。踏切の向こうには君がいて、「はにかんでいる」は、なかなか上がってくれない遮断機にも、君にも、主人公にもかかっているのだろう。「夏の君」といったフレーズが、ちょっと甘めの懐かしいポップス調。恋はまだ始まったばかり。なのに夏も、目の前にいる君も、この瞬間から遥かに遠くなっていくような感覚は、スタンダードにせつない。

補陀落の慟哭熔かしゆく酷暑
稲葉良岩

補陀落、慟哭、フダラク、ドウコク、と字面も響きも、一句の中でどろどろと渾然一体になり、発するエネルギーはマグマの熱さだ。ところで「補陀落」を手元の辞書で確かめると「観世音菩薩が住む山。日本では和歌山県那智山などに擬する。」とある。そういえばと、かつて真夏に那智の滝や熊野古道をめぐった旅を思い出した。あのときも猛暑ながら、古道ではふっとひんやりとまとわりつくような霊気も感じられて。

喪の庭を満たしてくれる白い百合
笠嶋恵美子

イメージの中で、喪の黒と百合の白のコントラストが鮮明。さらに庭の熱気や百合の香気が、むんと濃密。しかしそれらが、心にぽっかりとあいた穴も満たし、むしろやすらぎになっているのかもしれないと感じられた。つと、庭の上に広がる空に目がいく。強烈な青に浮かんでいる雲が、ほんの少し流れて、ほんの少し秋のかたち。

毛穴から入っていった蝉時雨
伊藤聖子

毛穴ケアの化粧水というのがある。疲れや加齢でたるんだ毛穴を洗浄し、引き締める化粧水。さて、蝉時雨が入っていったらどうなるんだろう。想像するだに全毛穴がぞわぞわ。されどたとえば大音量の絶唱を浴びて、いったん体の芯にまで浸透させたのち、大量の汗として放出とかできたら、すごいデトックス効果が得られそうな気もする。

三度目の告白四度目の家出
須藤しんのすけ

つまり、懲りない系ってことですね。実は身近にもこういう友人がいるんです。プチ家出するたびにウチへきて、持参の缶ビールやらツマミやら並べていきなり相方の愚痴大会。けど、いつの間にか、むにゃむにゃノロケみたいになったところで、勝手にお開きにして「ほなまた」と帰ってゆく。いやまったく、知らんがな。というパターンがしかし、秘かに愉快でもある。ということで、本作の主人公にもぜひぜひくわしくお話お聞かせいただき、「知らんがな!」と返してみたい。

おみやげはぼくをむかえにきたらしい
本海万里絵

誰かの家に預けられていたんだろうか。迎えにきてもらって喜んでいるのか、まだ帰りたくないと思っているのか、あるいはそのどちらでもあるのか。上五が人物でなく「おみやげは」というのもさりげなく謎めいている。オール平仮名表記が寄る辺なく、読みもふわふわと揺れて、もしかしたら遠い星からのお迎えかも?なんて、絵本のようにも楽しんでいる。

コピペした理論武装が剥がれかけ
浪越靖政

このコピペ、原文は他者によるものか、はたまた自作か。私は後者ととらえた方がより複雑で面白いと思った。かつて自信満々だった強固な理論武装も、コピペを繰り返すうちに、今という時代へのくっつき方が甘くなってしまって、それを自嘲しているような。でも、そろそろ新たな理論を構築する良きタイミングを迎えたともいえる。



灰汁を抜く民主主義やら芋茎やら
河村啓子

民主主義と芋茎(ずいき)の取り合わせに驚いてのち、深くうなずく。芋茎をシャキシャキと歯ごたえ良く、素材本来の味を生かすように仕上げるには、手間暇かけた灰汁抜きこそ大切。はたして民主主義も同様なのだろう。延々と世界の混沌が続く中で、民主主義の意義や在り方も問い直されている。それはもちろん他人事でなく、日々のわが暮らしにも直結する話。芋茎のごとく、句を噛みしめてしかと味わいたい。