会員作品を読む

2024年3月   西田雅子

今月の風

アイラインはグレージュ おぼろになる準備
藤田めぐみ

新入社員時代の研修のひとつに、メイキャップの講座があった。化粧品会社のメイクのプロから、好印象のメイクの指導を受ける。それは、「全体をベージュ系でまとめる」というもの。ベージュ系はふんわり優しい印象があり、好感度大らしい。ここでは「グレージュのアイライン」。グレージュとは、グレーとベージュを合わせた色合いで、比較的新しい色彩の名称。愁いの春を迎えるにあたり、まずは外見からか。アイラインは、意識的に目を引くためでありながら、その色はグレージュというあいまいな印象に見せる。物憂げ的なメイクは、おぼろに近づけただろうか。

鉄棒の匂いまだ帰れないおうち
阿川マサコ

鉄棒の匂いからは、子供の頃の学校か公園の鉄棒を思わせる。子供時代への郷愁や切なさとも読めるが、いまだに達成感を得られず、未熟なままの自分を「鉄棒の匂い」としているとも。「まだ帰れないおうち」から、自分の居場所がまだ見つからない状況を指しているのかもしれない。

輪郭をぼかして風のとおりみち
河野潤々

輪郭をぼかすことにより、ものごとの境界線や輪郭が不明瞭になり、風景やものの形、特徴がぼんやりしたり、あいまいになる。このようなとき、風はとおりみちを見失うかもしれない。が、逆に、ものごとの不確かさや流動性に対して、風はしたたかに、軽やかに、とおりみちを自ら探しだすのでは。何といっても、風は自由自在なのだから。

忘却の皿は魚の形して
真島久美子

記憶や思い出を受け止めたあと、魚が水の中を泳ぐように、記憶も思い出も、時間の流れの中を、静かに泳ぎ去っていく忘却の皿。過去のできごとは徐々に消失して、時間の経過とともに、やがて、深い意識の底へ。けれど、思いがけないときに、魚が浮上してくるように、心の奥にあった記憶が蘇るときもあるはず。悠久の時間の流れの中で、忘却は永遠の広がりをもち、水の流れのように絶えず変化し続けている。静かな哀しみも湛えている一句。

まりをボールに持ち替えたのはいつだろう
浅井ゆず

子供の頃の懐かしい遊びを思わせる「まり」。スポーツをはじめ動きやすさや、広がりやすさで、幅広く使える「ボール」。まりからボールへ、子供時代から、大人への一歩を踏み出す新しい世界へ。それはいつだっただろう。子供の頃の純真な気持ちがいつのまにか、ほかのものに変わってしまった寂しさや感慨。

想定外たのみのつなは片栗粉
吾亦紅

水に混ぜると粘り気が出て、調理の際、食材にとろりと絡む片栗粉。柔軟で安定感がありそうではあるけれど、予想を大きく超える想定外という緊急、かつ重大な状況に対処できるのか、と思うが、案外、あたふたしている人たちを繋いで、一致団結。協力して、困難に立ち向かう重要なつなぎの役目を担うのかも、と思えてくるから不思議。

後ろ指さされた背なにサロンパス
杉山昌善

一読して、背中がスース―したのはサロンパスのせいだけではなさそう。一句にサ行の音が連なっているのもその理由かも。自分の知らないところで悪口を言われているらしいと背中で感じたこの人物。その背中に痛みやコリを和らげるサロンパスを貼るという具体的で意外な行為。他人の視線や評価に対して、サロンパスを貼って、軽く受け流すようにもとれる。が、サロンパスを貼ると、よけいヒリヒリと痛みを感じるような気もするけれど。

あの日の日記背表紙までも泣いている
渡辺かおる

久し振りにあの日のことが書いてある日記帳をひらいてみる。そのページに書かれているのはほんの数行だけ。けれど、行間や余白から、あの日の思いが溢れてくる。かすかに涙のあとも…。日記の背表紙を見るだけで泣けてきていたけれど、ようやくひらく気になれた日記帳。私の代わりに泣いてくれていた背表紙。がんばったね、わたし。