2024年7月 西田雅子
今月の風
そしてひとりれもんにこさんこよんこ
北川清子
すべてひらがなで書かれた一句。一字ずつ文字を追うように読んでゆくと「そして1人レモン2個3個4個」。ひらがなにすることで、レモンの鮮やかな黄色も、数としての数字もすべて等しくフラットに。意味は束の間消え、あとから静かに浮かび上がってくるもの。それは孤独感であったり、淋しさであったり。「そして」から導かれてゆくひらがなの世界では、「わたし」も「れもん」も「ひとり」も「にこ」「さんこ」「よんこ」もそこに同格に置かれている「孤独」の姿なのかもしれない。
霧雨のボサノバ既読は付かない
斉尾くにこ
静かな霧雨の中、聴こえてくるボサノバ。穏やかなリズムは心地よい安らぎを感じさせるが、一方でメッセージには既読が付かず、未読状態のまま。霧雨は視界を遮り、先行きの見えないことを暗示させ、一抹の不安がよぎる。霧雨の静けさとボサノバ、既読にならない孤独感が巧みに織り交ぜられている。誰かと手軽につながるコミュニケーションツールが、ときに、誰かと繋がっていない淋しさをいっそう募らせる。
葛饅頭ぷるるるるんと逃げ切った
黒川佳津子
透明な葛の中に餡を包んだ涼やかな和菓子―葛饅頭。掲句では、「ぷるるん」ではなく「ぷるるるるん」とあり、このオノマトペが視覚的にも、柔らかく弾力のある葛饅頭の独特の食感をより表している。さらに「逃げ切った」と言い切っているところが、まるでいたずらっ子のように、葛饅頭のお茶目なキャラクターを表しているよう。上品でつつましやかなイメージのある葛饅頭の別の一面がちらり。どのような場面だったのか、おしとやかに楊枝で葛饅頭を切り分けようとした途端、葛饅頭に逃げ切られた?
いい日を呉れた太陽のエピローグ
森 廣子
いい日とは、友人とランチして、おしゃべりをした楽しい一日か、ハイキングやピクニックで自然を満喫した日か、読書や音楽でゆっくり過ごせた心が癒された日か…。特別なできごとがなくても、健康で平穏な日常を過ごせたのがなによりの一日。そんな幸せを呉れた太陽は夕陽となって一日を閉じる。太陽に感謝。
人形に内蔵されている夕立
芳賀博子
人形は無機質で感情を持たない存在だが、「内臓されている夕立」から、外見からはわからない激しい感情や状況が内部に秘められているのかも。それとも、人形の持ち主の心の内が夕立となって内蔵されているか。はたまた、AIの進歩により、人間のような複雑な感情モデルを搭載したAIロボットを暗示している一方で、AIがもつ潜在的な危険性や制御不能な事態を「夕立」としているようにも思える。
AIが詐欺ってすごくないですか
飛伝応
AIを悪用して詐欺をすることは可能のようだが、AIが意図して詐欺をすることはまだできないらしい。AIがどこまでヒトの脳に近づけるか、すでに特定の課題能力に対してはヒトの脳を超えている。汎用性AIといって、想定外のことに対しても、自ら学習して、総合的に判断、問題解決できる問題処理能力はまだ実現していないとのこと。当初はそれには20年かかるといわれていたが、現在では10年後には可能とも。その先には、AIがヒトに恋をしたり、夢を持ったり、あるいは絶望したり…も可能なのだろうか。
大盛りをペロリ只今旬である
藤山竜骨
大きなお皿に盛られた旬のものを、ぺろりと一気に食べて「只今旬である」とご満悦の様子。旬を大切にする。旬の時期でなくても、四季折々のものが一年中食べられるようになった現代。もしかしたら、「今、この瞬間を大切にすること」を忘れがちかもしれない。今の季節、旬で思い出すのは、トマト、なす、キュウリ、トウモロコシ、スイカ、鱧、鰻…。新鮮な野菜や果物、そして海の幸がふんだんに使われた旬の食材たち。お腹いっぱい食べたら、季節の恵みに感謝しながら、「大盛りをペロリ只今旬である!」と、みなさんでご唱和を!
はやくきてこれしかないっていうかたち
本海万里絵
「はやくきて」に緊急性や切迫感を感じるが、誰に対して、何に対して言っているのかはわからない。たとえば、ことばを探し求める場面。詩や文章を作るときに、しばしばある。適切なことばが見つからない焦燥感。そして、そのことばが見つかった瞬間の安堵感も織り交ぜられているような…。すべてひらがな表記ということからも、「これしかない」ということばに辿りつくまでの、まだかたちになっていないことばを表しているよう。「これしかないっていうかたち」に、無数のことばの選択肢の中から、最も的確で自分の意図を完全に表現できることばを見つけたときの感動。それが忘れられなくて、懲りずに今日もことばを探し求めている。