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2025年1月   西田雅子

今月の風

泣けぬ日のタマゴボーロは罪つくり
菊池 京

泣きたいのに感情を抑え込んで泣けない日。もやもやや、かなしさ、寂しさ等の不完全燃焼状態の心の中。タマゴボーロの甘くて優しい味わいは、慰めや安心感を与えるお菓子であると同時に、過去の記憶や懐かしさも呼び起こす。心を癒すために口にしたタマゴボーロが、その素朴さゆえに、抑え込まれていた感情を突いてくる存在に。なんと罪つくりな。

サトウサンをUSBに避難させ
石野りこ

USBメモリーは、データ保存や移動のためのツールとして欠かせないアイテム。「サトウサン」は、特定の個人名であるが、ここではデータや記録などに親しみをこめて、名前をつけているのかも。ただし、データなのでカタカナで。大切な人の記憶や思い出も、デジタルの世界では個人情報として扱われる。個人情報にはセキュリティーが必要。大切な思い出も、とりあえずUSBへ移動させなくては。

見られないことで完成するわたし
本海万里絵

「わたし」が「完成する」とは、自分の中にある未完成の部分が、ある条件で完成するということか。ここでは、その条件が「見られないこと」。自分の存在を、他者の視線から切り離し、内なる自分に向き合う。見る・見られるという社会的な行為を、自己の完成というテーマに結びつけている。他者がいないことで見えてくる自分の本質、自分らしさ、本来の自分。

空想の滞空時間冬苺
芳賀博子

空想の世界を漂うような感覚の中、時間が止まったような不思議な時空。冬苺からは、寒い季節の中の小さな生命力が感じられ、冬苺の赤い実が、まるで空想の結晶のよう。浮遊感の中、冬苺の赤から、鮮やかな視覚的イメージと余韻が伝わり、存在感の大きいこと。空想の滞空時間」という抽象的な概念が、冬苺という具象に見事に着地。

ほぐされて朝焼けになるのはあの星
西山奈津実

夜から朝への移ろいは、星の光がほぐされて朝焼けになるということか。星が単に夜空から消えるのではなく、朝焼けとして姿を変えるという、まるで星と朝焼けの間に物語があるかのよう。朝焼けという光景が、あたかも星の最後の輝きにも見える。「あの星」に思いを馳せれば、私だけの特別な星に。

では何処に行きたい双子座流星群
海野エリー

双子座流星群は12月中旬に見られる天体ショー。掲句から、冬の澄んだ夜空と冷たい空気感が伝わってくる。「では何処に行きたい」からは、流星群を見上げながら抱く希望や願望、あるいは迷いを表しているよう。双子座流星群へ自分自身の心情を重ねているようでもある。日常から非日常への憧れや、不安がありつつも、流星群に未来を託しているのかもしれない。

山茶花の道で転ぶ身持て余す
林 操

山茶花の咲く道で、あるいは山茶花の花びらの散った道で、思いがけず転んでしまったのか。「身持て余す」から、転んだあとの動揺と自分へのふがいなさが伝わってくるよう。また、転ぶという単なる身体的なことだけでなく、今までは予期しないできごとにも対応できたのに、と人生を重ねているのかもしれない。ふと見れば、冬の寒さの中、山茶花が凛と咲いている。

穏やかな観音様に恋をした
堀本のりひろ

観音様という神聖な存在に対して、「恋」という人間的な感情を抱くことで、距離が縮まり、人間と神聖なものとの関係性がぐっと親しみやすく感じられる。観音様の仏教的背景ではなく、「穏やか」という人間味あるところに惹かれるのも好感がもてる。穏やかな人は、時代や宗教を超えて共感を呼び、魅力的。ん?もしかして観音様って、奥様のこと?

ピアスとかネイルの好きな若い蛇
吉田利秋

2025年は、巳年。ここでは、ピアスとかネイルとか、現代の若者を思わせる蛇のようで、蛇の古典的なイメージを払拭。蛇が脱皮を繰り返すように、若者も試行錯誤しながら新しい姿を模索する。若さには、未熟さとともに、無限の可能性がある。自己表現や自由なスタイルを追求する今の時代を反映して、楽しい1年の始まりの予感かも、と期待を込めて。