総評

2022年8月   芳賀博子

8月、ゆにの新年度がスタートしました。
新しい会員の作品も加わり、猛暑もパワフルにはね返すラインナップをお届けします。

今月の風

とんそくのチョキ整列す熱帯夜
阿川マサコ

とんそくといえば、朝ドラでも話題の沖縄料理やアジア屋台を連想。コラーゲンたっぷり、旨味たっぷりながら、見た目のインパクトから、一瞬ひるむ派も。そこへきて本作はいきなりチョキときた。こちら、慌てて後だしジャンケンのパーを出すも、完敗である。さても密着の整列に熱帯夜、と、暑いワードの相乗効果が濃厚なユーモアを醸し出し、猛暑の折こそこんな一句がビールによく合う。

好きだったものを数えていく儀式
本海万里絵

だった、という過去形にドキリ。誰が好きだったものか。その誰かは、自身なのか、別れた恋人か、はたまた・・と、読み手に委ねられている。さて「数えていく儀式」について。たぶん作者の意図とはまったく違うだろうけれど、時節柄、ふと怪談の番町皿屋敷がよぎった。皿を一枚、二枚、と数える手元の妖艶さ・・いやいや、とわが妄想を振り払いつつ、このゾクゾクは。

夏空がこびりつくのはダリのせい
浅井ゆず

誰のせい? ダリのせい! ナハハ。かのダリ画伯もこの一句にはニンマリされているに違いない。さて「夏空がこびりつく」とは、ギンギンの夏空が地上にまで降りて、ところかまわずこびりついている様子。あるいは何度見上げても、一向に変わらない空模様を詠んだものだろうか。それにしても夏の暑さは年々シュールレアリスム。まったく笑いごとではないけれど、シニカルな笑いにでも転じないことにはやってられない。

地球から離れていった青い鳥
弘津秋の子

おーい、おいおーい。秋の子さんと一緒に、全身で叫んでみたけれど、振り返りだにしない。青い鳥はなかなかに寛容と聞いていたけれど、環境異変もここまでくるとなあ。さらに愚行ばかりを繰り返す人類のこのテイタラクにはつくづく愛想を尽かしたのかもしれない。なんとかハヤブサに連れ帰ってもらえないものか。

黒揚羽拝む象で蜜を吸う
もとこ

象は「かたち」と読む。しかし「象」と表記されることで、神秘性がいっそう増した。黒揚羽が、その漆黒の羽をたたむすがたを「拝む象」ととらえた作者。おしいただくように蜜を吸い、命をつなぐのは、我もまた同じと。黒揚羽と自らを対等に置いた目線がやわらかい。

ブックカバー断るさよならが言えそう
藤田めぐみ

「カバーはおかけしますか?」書店のレジで聞かれて「あ、結構です」と断る。それはいつもの習慣かもしれないけれど、この日は、そんな自分にはっとしたのかな。私、断れるじゃん。ちゃんと意思表示できるじゃん。この勢いで、さよならだって言えそう。今こそ腐れ縁を断ち切るときだと。たかがブックカバーの一枚が、人生の大事な何かに気づかせてくれることも、きっと確かにある。

明日なんてほとんど今日のやり残し
杉山昌善

吐息まじりの自嘲のようで、リズムが弾むように明るい。もはや開き直りか達観か。なにやらアフォリズムめいてもいて、私の怠惰も大らかに肯定された気分である。やり残しを粛々と片付けては片付けきれずに、また明日。そうして一日が終わり、人生も終わっていく。これでいいのだ!

東京に行って帰って蜩の家
北川清子

所用か帰省か。とにかく東京に行って自宅に戻ってきた。界隈は自然豊かで、蜩の鳴き声しきり。そのにぎやかさに、ほっと息をついてもいるよう。「蜩の家」の七音に、くつろぎの余韻が宿る。何より「蜩」のチョイスがいいなあ。蝉は蝉でも熊蝉やみんみんではこの情感は出ない。また俳句でいうと、これらの蝉は夏の季語だけれど、蜩は秋の季語。川柳には季語の約束事はないけれど、ことばの季感は影響する。