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2024年4月   西田雅子

今月の風

叡電と嵐電 ビスキュイサンドする
河村啓子

京都はこれからが、春の観光シーズン。街中が桜いろに染まってゆく。叡電と嵐電は、それぞれ京都の叡山電鉄と京福電気鉄道嵐山本線の愛称。地元でも愛されている京都の観光地を結ぶ重要な交通手段である。どちらの沿線にも桜の名所があちこちに。一方、ビスキュイは、ビスケットの語源ともいわれ、スポンジ生地のこと。ふんわり軽い口当たりで高級感あるスイーツ。叡電と嵐電は交差していないが、その2つをビスキュイサンドするという、なんと贅沢な!ビスキュイというおしゃれなスイーツでサンドされた叡電と嵐電。リボンは春風で。さて、誰に贈りましょうか。

渇く手のたぐり寄せてるつぎの駅
岩田多佳子

目指したものに辿り着いたか、あるいは途中で挫折したのか、かつては熱い思いを握りしめていた手は、今や渇いてしまったかのよう。けれど、さらなる何かを求め、次なるステップに向かって進んでゆく。次の目標は、もう見えている。駅で電車を待つのではなく、自ら手を伸ばし、駅をたぐり寄せる。渇いた手に熱いものが溢れてくる。

毛筆で寝返りを打つ春日向
稲葉良岩

やわらかい春の日差しの中、うとうと、うとうと…。春の光に包まれて、寝返りを打つ心地よさは、かなを書くときのやさしい反転の筆使い、筆のやわらかい質感と重なる。春の日差しはあたたかさや穏やかさを感じさせ、毛筆のやわらかい質感の心地よさそのもの。寝返りを打つときに感じる心地よさと重なる。あれっ、この人物、夢の中で筆になっている!筆になって、春の光を墨にして、一句詠んでいるみたい。

質感は母方寄りのティーカップ
小原由佳

ティーカップの質感が「母方寄り」なのか、あるいは何かの質感が「母方寄りのティーカップ」と同じなのだろうか。「母方寄り」って、何? 気になってしまう。きっと、そのティーカップは肌触りがよく、しっくり手になじむものなのだろう。このティーカップで紅茶を飲めば、身も心もほっこり。母親のぬくもりに包まれているよう。母も、そのまた母も、大切にしていたお気に入りのティーカップだったの
では、と思いを巡らせる。

オン・オフの間に潜り込む仔猫
橋元デジタル

電源のスイッチやボタンの切り替えにはオン・オフがあるが、ここは仕事モードのオンと、リラックスするプライベートのオフの切り替えだろうか。その間に潜り込んだ仔猫は、予期しないプチ誘惑の象徴とも。突然の誘惑は(というか勝手に誘惑されているのだが)、集中しようと思っていた仕事に影響を与えかねない。う~ん、どうしよう…。ここはやはり、仔猫と思いっきり遊んで充分リラックス、のあと仕事に全力集中!

ロケットはその先アスパラガス伸びる
笠嶋恵美子

そういえば、ロケットとアスパラガスの形はよく似ている。ロケットはエンジンを噴射させて垂直に宇宙へ飛び出してゆく。かたや、アスパラガスは、地中に根を張り、地面から空を目指してまっすぐ伸びてゆく。人類の叡智を結集させたロケットと、春から初夏にかけてぐんぐん伸びてゆくアスパラガスの成長からは、どちらも未来へのエネルギーとパワーを感じる。

また白い絵の具で白い雲を描く
須藤しんのすけ

むかしむかし、ある村に夢を追い求める若者がいました。彼は白い雲を描くことが大好きでした。その雲には、彼の叶えたい願いや夢が詰まっていました。彼は毎日、白い絵の具を手に取り、白く美しい雲を描きました。けれど、描いた雲は白い紙を飛び出し、空高く舞い上がり、彼の手の届かない彼方に流れていきました。それから、時は流れ、白髪になった彼は、相変わらず、白い絵の具で白い雲を描き続けています。夢は叶ったのかわかりません。

コンプラの有刺鉄線くぐる風
森平洋子

コンプラという軽い響きだが、「コンプライアンス」の略で、企業や組織が法令や規制、倫理的な原則などに従って行動するという意味の重いことば。コンプライアンスは必要なことだけれど、ちょっと窮屈かも。ここでは、法令や規則に、自由を制約されるのではと、有刺鉄線とコンプライアンスを重ねている。けれど、そこは風になって、軽くコンプラをくぐり抜けていきたいもの。

春菊の香豊かに夕御膳
堀本のりひろ

春菊は名前に「春」がついているが、冬に旬の時期を迎える。春に菊に似た黄色い花を咲かせることからこの名前がつけられた。春菊の独特の香りや苦み、みずみずしい濃いみどりからは生命力を感じる。春菊の香が漂う夕御前の情景に、平和で豊かな時間がゆったり流れる。カレーでなく「春菊」の香り、夕食でなく「夕御膳」。どこか懐かしさを誘い、心を和ませる響きがある。自然や季節を感じながら、日々の丁寧な暮らしぶりが伝わってくる。