2024年5月 西田雅子
今月の風
過呼吸になってきた花瓶の桜
四ツ屋いずみ
夕暮れの窓辺に置かれた花瓶の中で、桜の花が静かに風に揺れている。窓の外の桜はそろそろ風に吹かれて、花吹雪になる準備。けれど、花瓶の中の桜は、思い切り散ることもできず、自らの色と香りにむせてしまう。次第に息苦しくなり、過呼吸に。思いっきり散って、花吹雪となって、大空を舞いたい!桜に「過呼吸」という対比と新鮮なイメージ。
ボタン屋でみつけた海からの手紙
宮井いずみ
ふと立ち寄ったボタン屋。ボタンが専門の手芸店だろうか。色とりどりのボタンがずらりと並んでいる。どこからか、潮の香と波の音がかすかに。貝殻のボタンからだろうか。ボタンとなって海からのメッセージを届けたのかもしれない。「海からの手紙」からは、ロマンと冒険的なイメージを呼び起こされる。日常とちょっと日常からはずれたようなボタン屋から海という大きな景に。
息継ぎを覚えたばかり花の街
林 操
新しい街へ引っ越した作者。「息継ぎを覚えたばかり」とは、新しい環境への適応や、その街の生活での試行錯誤の日々、なのだろうか。環境に慣れるために息継ぐことを学んだばかりだが、「花の街」からは、新しい土地で迎える桜の季節を楽しんでいることが窺える。「息継ぎ」と「花の街」の対比からは、新しい街への期待や緊張、この街で生きていく覚悟が伝わってくる。
大雨の降った市バスの停留所
吉田利秋
大雨が降りしきる中、市バスの停留所に立っている。雨の中、バスを待つ人々の様子や、雨で濡れたバス停の風景が想像される。日常生活でよくある光景ではあるが、作者の2句目「ヤーさんと知らず注意をしてしまう」、3句目「友が言うきっとあなたは刺されます」と続くのを読むと、なにやら事件に発展しそうな不穏な気配。これ、ヤバくないですか。
辛いとも渋いともなく欠ける月
重森恒雄
夜の闇にぽっかり浮かぶ月。見上げる月は満月ではなく、今夜は欠けている月。月は淡々と満ち、淡々と欠けるもので、辛いとか痛いとかの感覚はないはず。ましてや、日本人独特の感性である渋さも。欠けている部分はまるで自分の心の一部が欠けているよう。じっと見つめていると、その欠けた部分に新たな可能性が秘められているような…。月に心の葛藤や苦悩を勝手に投影している人間。月は淡々と欠けてゆくだけ。
雲ひとつない空に浮く青りんご
伊藤聖子
「雲ひとつない空」からは、青空や、晴天の明るく、さわやかなイメージがあるが、その空に青りんごが浮いている。不思議な光景である。青りんごから、若さや初々しさを感じつつ、ここでは、はかなげで、危うさも感じられる。雲ひとつない空は穏やかだが、何もなく、果てしない青に、ぽっかり浮かぶ青りんごは、静かに孤独に耐えているかのよう。
「もういいよ」がかえってこないえいえんに
本海万里絵
「もういいかい」「…」、「もういいかい」「…」。「もういいよ」はかえってこないとわかっていても、もしかしたらと、呼びかけ続ける。ひらがな表記が、寂しさ、悲しさ、切なさ、…を、より深いものに。えいえんがつづく長い物語。
春愁のアルバム川は蛇行して
山崎夫美子
哀しみの岸、懐かしい岸、希望の岸、淋しい岸…と蛇行しながら、季節も人生も移ろう。新しい始まりの季節である春ならではの、もの哀しさや寂しさ、それらの想いや記憶を写真のように切り取りながら、心のアルバムに納めてゆく。春のアルバムは、ことのほか深く、重くなりそう。