何という武器かともかく逃げること
柴田午朗
句集『きのこ雲』(復刻版)より。
本書は広島川柳会が発行したアンソロジーで
初版は1956年(昭和31)に発行されている。
作者の柴田午朗(1906-2010)は
島根県出身で、昭和16年に応召。従軍。
敗戦後は地元へ戻り、柳壇の発展にも尽力。
島根県川柳協会初代理事長を務めた。
その柴田午朗が
本書第一部「きのこ雲 ーあの日を生きて」の中で
あの日の「ヒロシマ」を句に刻む。
這うて出た眼にお隣は火の柱
大火傷の人から水を恵まれる
妻と手をつなぎ屍臭の深き中
生きている不思議を語り友を掘る
同じく第一部の作品から、
逃げ道を教えた人も火にまかれ 定本広文
一瞬の位置が生死を分けた位置 田村秀宗
先生の死屍は大きく手をひろげ 馬場木公
焼け肌へいたわる布を娘はもらい 森脇幽香里
編集にあたった一人として、森脇幽香里が
初版のあとがきの最後に、こう記している。
ささやかではありますけれど、
広島で原爆を受けた責任において
川柳人としてその作品に
人間の怒りやかなしみをこめ、
ここに「きのこ雲」を世に贈って、
平和へ鳴らす川柳の鐘とする次第であります。
(句集『きのこ雲』復刻版/広島川柳会 1988)
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