2025年4月 山崎夫美子
今月の風
病窓の外はCGかもしれぬ
稲葉良岩
「かもしれぬ」に優柔性はみられない。CGではないと分かっていても、CGだと思いたい気持ちが奥底にあるからではないか。それは病室に横たわる現実を、受け入れる前段階でもあるように感じる。病窓から見える風景は、美しすぎても、寂しすぎても、CGのように調いすぎてもいけない。ありふれた日常のさりげない風景がいい。作句者は美しすぎた夕焼けを見たのだ。そんな気がしてならない。
給湯器無かった頃の春生まれ
宮井いずみ
病院ではなく自宅での出産が多かった時代。赤ちゃん誕生には産湯が必要で、湯を沸かすのも一苦労だった。もちろん給湯器などという便利なものは無かった。瞬間湯沸かし器が取り付けられた時、すぐに湯が出て嬉しかったが、それも昔の話で、今や給湯器はもっと進化している。この句は、あの頃を彷彿とさせながら、春生まれというセンスある表現で、現代生活の豊かさを享受している私達へ、警鐘を鳴らしているのかもしれない。
銀行が銀行員の舌に載る
藤山竜骨
銀行という大きな後ろ盾があって、銀行員がいると思っていたがそうではないらしい。銀行員の舌で銀行が成り立っている?確かに金融関係に疎ければ、銀行員を頼りにするし、その舌は誠実であると信じたいが、舌に載せるとなると不安になってくる。銀行も今どきは利息が少なく、手数料ばかり取られていると言ったら言い過ぎか。パンチの効いた風刺に頷くばかり。
花吹雪しばし私は斬られ役
菊池 京
花吹雪の中に佇んでいる姿は、映画の主役に見えるが、実は斬られ役。両手を広げ全身で花吹雪を受けながら、斬られて華麗に倒れてゆく。最初はそんな場面を想像したが、本当は容赦なく降りそそぐ花吹雪に、わが身を削られているような情景を詠っているのだと気づいた。「しばし」に受容と客観的な余裕がみられ、「斬られ役」としての私を登場させたことで、花吹雪の見事さが際立っている。今年の桜は散り急ぐだろうか。
そこんとこ二目ゴム編み止めにせよ
北川清子
「そこんとこ」と言われて、「えー、どこどこ?」と聞き返すほどの面白さがある。そこのところと言われるよりも、そこんとこに親しみをもってしまう。二目ゴム編みは、普通の止め方だとゴムゴムのような自由が利かない。だから自由を確保するためのゴム編み止めは必須。命令口調にひれ伏すことはないけれど、しっかりと止めてみせます。
紐は緩めで春は温めで目を覚ます
河村啓子
病気がちの知人から、「明日の朝、私は目覚めるかしら。」と思いながら、就寝すると聞いて驚いたことがある。目覚めを意識したことはないが、紐は緩めで春は温めな目覚めは、なんて贅沢で幸せなのだろう。そんな気持ちに相応しい春の一日が始まる。言葉選びに優しさと味わいがあって、川柳の奥深さを感じさせる素敵な一句。
どのくらい離れればきれいに見える?
本海万里絵
撮影でどの角度だと美しく撮れるかを、女優は知っているとか。私たちだってきれいに見える方程式や計測器があれば・・・は考えすぎかな。人とのつきあいで距離感は必要だが、きれいに見みえる距離を考えたことはなかった。それだけ相手から見える自分を意識しているということなのだろう。いじらしい恋心にも下心はある。
諦念に仕込むきれいな宙返り
橋元デジタル
諦めるつもりなのに、仕込むという不穏な行動。さて何を企んでいるのかと思えば、きれいな宙返りだなんて。まずは諦念に至った出来事が気にかかる。職場で繰り返される不本意で納得できないことを、諦めのかたちで胸に収めているが、それも限界に近づいてきた。宙返りは、そんな気持ちの切り札のよう。ぶざまな宙返りにならないよう、しっかり仕込まねば。
その指はすみれを触ったすみれ指
おおさわほてる
すみれの花がなかったら、この句は成立しなかったし、他のどの花でもしっくりこないと思う。すみれの花言葉は、「小さな幸せ」「謙虚」「誠実」で、道端にひっそりと咲くすみれにぴったりだ。可憐なすみれにやさしくそっと触れると、すみれ指になるなんてメルヘンの世界。すみれ色になった指をクルッと回して、魔法をかけてみるのはどうですか。